○ 福昌君楨, 福平君㮒上疏三月初八日 , 伏以臣等, 抱不測之罪名, 而遭遇聖世, 旣免刑章, 又獲祿食, 天地生成之恩, 固至矣盡矣, 而負累甚重, 猶不敢一造於起居之班矣。頃承賜對之命, 分義所迫, 不暇念他, 敢隨諸臣之後, 復近尺五之天, 惶感霣越, 淚迸語縮, 略陳危迫之悃, 反承丁寧開示之敎, 天眷隆厚, 令人感泣, 煩猥是懼, 更不敢畢暴而退。不意玆者, 又有安心行公之命, 不世異數, 乃至於此極, 雖使臣等, 磨頂而放踵, 破腦而刳心, 將無以報聖恩之萬一, 唯當務一心盡誠恪謹趨走, 以盡夫臣子之義, 而顧念臣等, 名行已虧, 羞璿派辱先訓, 迨其極矣。雖於杜門屛伏之中, 猶且有靦顔面, 親戚之來問者, 亦不得相接, 居常惴惴焉, 未嘗以恒人自處, 人之見臣等者, 亦未嘗以恒人待之, 則復廁班行, 出入天門, 寧不爲同朝之羞, 而聖德之累乎? 此臣等之所以飮泣陳情, 終不敢承命者也。伏乞天地父母, 哀憐臣等崩迫之狀, 亟收格外恩命, 俾得杜門終身, 不勝萬幸, 不勝萬幸。臣等無任瞻天仰聖瀝血祈懇之至, 謹昧死以聞。