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승정원일기 13책 (탈초본 254책) 숙종 2년 5월 11일 임진 49/50 기사 1676년  康熙(淸/聖祖) 15년

崔應夢에게 司贍寺의 弊瘼을 진달하게 하여 奴婢身貢役價의 변통 문제를 논의함

    崔應夢進, 陳弊瘼曰, 本寺, 貢物主人之所賴, 以資其應役者, 只是有司奴婢身貢役價, 而沿海各官奴婢貢木作米之時, 戶曹貢物主人役價, 則仍存, 而本寺, 貢物主人役價, 則不爲磨鍊, 同是主人, 一體應役, 而本寺主人, 獨不得受食役價, 固爲不均。且自辛亥以後, 山郡奴婢, 逃故太半, 故役價捧食之數, 甚爲零星, 比平時, 未滿十分之一, 而國家責應, 少無所減, 主人輩, 不能支堪, 皆恃渙散。今年, 則數月之內, 再經勅使, 白地應役, 難保之狀, 實爲可矜, 沿海作米役價, 初不磨鍊, 則到今雖難變通, 至如本寺應納, 沿海作米, 稽同作紙, 亦皆上納於戶曹云。以此作紙, 劃給本寺, 充給貢物主人役價, 則庶無呼冤之弊, 而可以保存應役矣。曰, 司贍寺, 奴婢貢木收捧之司, 而中間, 緣本寺官員之不加檢察, 貢品, 漸爲麤劣, 不合於用, 不得已自戶曹, 收捧貢木, 故作役價, 皆歸於戶曹, 而至於各處進排, 則仍令本寺當之, 貢物主人等呼冤之弊, 難支之狀, 誠如此言, 合有變通之道矣。上曰, 言于該曹。

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