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승정원일기 17책 (탈초본 322책) 숙종 13년 5월 29일 병오 5/16 기사 1687년  康熙(淸/聖祖) 26년

摠戎廳將官 朔試射 때 片箭三中한 吳廷善에게 加資하라는 명의 환수를 청하는 趙聖輔의 계

    聖輔啓曰, 以摠戎廳將官朔試射單子, 哨官吳廷善, 片箭三中, 特爲加資事, 命下矣。在前觀武才時, 各技優等, 如片箭二三中, 騎蒭·柳葉箭四五中, 雖蒙加資之典, 至於各軍門朔射, 則與觀武才, 事體自別, 一行缺罕有之事, 雖不敢直請論賞, 亦不可無別樣勸奬之意, 五六字缺大臣, 猶以爲此是私試射, 自本營參酌論賞, 則可矣。自朝家論賞, 則似過, 此所持難, 而自上以爲片箭貫三中, 前所未有, 特命加資, 以此見之, 則其非爲據例應施之典, 明矣。且以射藝言之, 貫中與邊中, 分劃逈別, 不可以矢數之相等, 比而等之, 一體論賞, 且內中日砲手及武藝別監之鳥銃貫三中者, 始許直赴, 而其餘, 則雖以貫二中·邊一中, 合爲三中者, 只給馬帖, 此豈非朝家愼惜賞典之道乎? 今此吳廷善之加資, 實爲過重, 且無前例, 請還收加資之命, 令本廳或該曹, 別施他賞, 似合事宜, 區區所懷, 惶恐敢達。傳曰, 所謂貫三中者, 乃指砲藝, 故凡大小科場事目, 有鳥銃三發六中, 而元無柳葉箭五發十分, 片箭三發六分之法, 頃日兵〈曹〉回啓中, 始開片箭六分後直赴免賤之式, 固已可怪矣。今此啓辭, 又引砲藝, 誠未免疏闊也。今若創立別規, 必待柳葉箭一巡十分, 片箭一巡六分, 然後方許加資, 直赴, 則雖閱累十年, 終無一人矣。爾等何爲此無前失人心之說也? 若曰朔試射時, 騎蒭五中, 曾蒙恩資, 而此則旣是再巡, 與騎射單次, 有間云, 則猶或可也, 其令該曹稟處。

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