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승정원일기 17책 (탈초본 331책) 숙종 14년 10월 27일 병인 18/19 기사 1688년  康熙(淸/聖祖) 27년

湖南에 있다가 遞任된 후 穀數를 虛錄했다는 비난을 샀기 때문에 罷職을 청하는 南有星의 상소

    ○ 正言南有星疏曰, 伏以臣之庸陋, 最居人下, 而聖明不遺, 前後叨忝, 非止一再, 圖報罔階, 常懷耿邑時事, 被罪廢處, 于今五年, 自分永爲棄物, 聖度天覆, 敍命遽降, 譾洗垢釁之身, 復授薇垣之職, 感涕自零, 況當國有大慽, 上下遑遑, 臣雖無似, 豈不知退處之爲慢? 第臣從前負犯, 不啻尋常, 不可不略陳其槪於天日之下, 臣頃在壬戌秋, 除拜康津, 才疎慮短, 無一善狀, 而適値湖南年事大侵, 及至秋捧, 因朝家分等之令, 各樣糴穀, 僅僅準數, 至其翌年春給之時, 本道道臣, 行會各邑, 以還上分給之穀, 備納正貢之半[米], 而待秋蕩除, 又令作米, 而減其耗, 且給兵營設縻之資, 故其秋收捧之數, 有欠於元會, 其勢固然, 而未及還捧之前, 身病適重, 仍以遞任, 其後交代, 謄報上司, 指有爲無, 以實爲虛, 有若臣私自用之, 緣臣所供, 査臣所犯, 一應穀數, 昭有去處, 而伊時道臣之啓, 勒以歸之虛錄之科, 至謂居官之事, 有同木偶人, 臣素乏媚悅之態, 不無觸忤之端, 而木偶之誚, 比況太一思之, 慙靦欲死, 今若感激鴻造之私, 出入言責之地, 則淸朝之士, 必而同列, 臣何顔面, 濫廁淸班乎? 況臣素有脚病, 且傷水土之物, 只待就盡之期, 以此危劇之命, 萬無趨詣之望, 伏乞之勢, 特命鐫罷臣職, 不勝萬幸。批答現上 

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