○ 左參贊徐文重疏曰, 伏以臣本無似, 猥荷寵擢, 驟躋崇秩, 兼領諸務, 奔走供劇, 殆無一日之暇者, 已六年于玆矣。災生福過, 疾祟勞瘁, 自遭喪慽, 神精內消, 筋力外脫, 遇事憒憒, 觸處昏錯, 其得逭於罪戮者, 無非聖度之包容, 而恩數之汪濊也。頃於朔日, 以雲劍侍衛, 罷出之後, 仍赴敎場, 過午歸家, 則半身不利, 手足痲痺, 意謂偶然, 不以爲慮矣。再昨公事, 又無推移之員, 遠出城外, 乘垂暮將歸之際, 前症復發, 昏眩不省, 僅得載還, 而不利者漸至難收, 痲痺者轉成痿苶, 起動須人, 酬應顚錯, 醫云此是勞憊所發, 其兆爲風, 衰年得此者, 雖大施砭焫, 廣加治療, 亦難復爲完人。今臣年迫六朞, 叨竊踰分, 縱因此得死, 固無足惜, 而唯其病狀如此, 決無强起驅策供職之望, 而所兼諸任, 俱爲緊重, 不可暫曠, 伏乞特賜哀矜, 將臣本職及兼帶軍門·內局·惠廳·籌司·該司提調之任, 一倂鐫改, 公私幸甚。答曰, 省疏具悉卿懇。卿辭如此, 將任及內局提調, 今姑勉副, 卿其安心, 勿辭行公。