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승정원일기 18책 (탈초본 350책) 숙종 18년 11월 23일 무진 12/12 기사 1692년  康熙(淸/聖祖) 31년

睦來善 등이 입시하여 扶安 등 三邑의 穀物을 格浦鎭에 設倉하는 문제에 대해 논의함

    ○ 又所啓, 格浦設鎭, 聚儲沿邊各邑軍餉, 當初制置, 意有所在, 萬頃·沃溝·茂長, 則屬於格浦, 扶安·古阜·興德, 則屬於黔毛浦, 各邑設倉於本鎭之內, 以爲春秋糶糴之地, 而民人憚其挽輸, 守令厭其往來, 每欲移來邑境, 而朝家不許矣。庚申以後, 黔毛浦所屬三邑, 則果爲移置於各其邑海倉, 格浦所屬三邑, 則未及移倉海邊, 而還上穀物, 姑爲捧留於本邑矣。己巳, 初因大臣所達, 萬頃等三邑糶糴, 依前捧置於格浦, 而黔毛浦所屬扶安等三邑, 尙儲各其邑海倉, 此三邑軍餉, 儲置黔毛浦鎭下者, 蓋爲他日緩急之用, 事出倉卒, 捲載兵船, 輸入江都, 事甚便易, 而今以民情之一時厭苦, 移置於各其邑海倉, 殊非軍餉設置之本意, 海曲無人之地, 藏置許多穀物, 只令若干監色輩看護, 亦涉疎虞, 且以事體言之, 扶安等三邑, 旣不爲道內山城之所屬, 又欲免格浦之所管, 中間脫免, 實涉無據, 三邑軍餉, 竝爲設倉於格浦, 一依萬頃等例, 爲格浦所屬, 事甚得宜, 而或設或罷, 變通頻數, 此甚難便, 伏候睿裁。左議政睦來善曰, 扶安等三邑, 移置各其邑海倉, 而事甚不當, 今若糶糴於格浦鎭, 則日後緩急之際, 移入江都, 亦爲不難, 三邑穀物, 設倉於格浦鎭, 似好矣。上曰, 待明秋扶安等三邑餉穀, 依萬頃等邑例, 設倉於格浦, 以爲糶糴之地, 可矣。以上備邊司謄錄  

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