○ 金鎭龜所啓, 御營廳所管江都城牒及水門頹壞等處, 開春卽時修築之意, 曾已定奪, 且臣待罪本廳後, 得見留守金昌集啓聞, 則以爲水門加出之處, 旣是肉土, 海潮相逼, 頹圮之患, 亦必如前, 水門之制, 必以虹霓造作, 然後可無汎濫之患云矣。臣於頃年受任江都時, 略知其形勢, 今又詳問于本廳將校之主管者, 則亦與留守之所啓聞者, 城牒修築之役, 旣涉浩多, 虹霓門造作, 石役亦爲重大, 此亦數月內猝難完畢之役, 卽今則京外石手輩, 皆赴兩陵之役, 陵役罷後, 則又値農節, 潦水之前, 將不得畢役, 頹圮之患, 勢將尤甚, 況今癘疫大熾, 止息亦難預期, 城牒修築, 及水門造作等事, 姑待追後擧行, 似爲完固, 而保障重地, 此等事役之累月抛置, 亦涉疎虞, 何以爲之乎? 上曰, 事勢果如所達, 待秋後卽爲擧行, 可也。出擧條