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승정원일기 20책 (탈초본 393책) 숙종 26년 9월 18일 정미 20/21 기사 1700년  康熙(淸/聖祖) 39년

情勢를 이유로 兼職의 遞差를 청하는 李墪의 상소

    ○ 禮曹參判李墪疏曰, 伏以臣於金吾兼任, 終有所不敢行公者, 而宣陵塗灰之役, 除臣一人外, 無可推移進去之員, 故不得不兼任, 蓋出於形極勢窮, 萬不獲已也, 而本非臣也。伏想聖明, 亦必下燭其情實矣。夫人臣之受職也, 言非常, 則必自陳而期於解免者, 以廉義爲重也。人主之待下也, 苟盡其情勢之難安, 則必許遞而俯順其情者, 以禮使爲貴也。臣之向日所造[遭]臺疏, 指意至深, 誠非等閑規切之語, 臣且駭且驚, 不知其所以然, 而其不得出參於按獄之列則已決矣。臣(臣)故連呈辭單, 得蒙恩遞, 無論臣之私心感激, 罔有涯極, 而通朝之人, 莫不咸仰聖明之使臣以禮也。如此而臣, 亦自幸其區區廉義, 可以小伸矣。不料銓曹不諒, 旋復次擬, 以上誤天點, 臣於此, 惶恐震惕, 罔知攸措, 惟以寧被罪於朝廷, 不若重貽累於一身者, 實出於平日所守自靖之計也。伏惟日月之明, 無幽不照, 天地之澤, 無物不遂, 臣之臲卼之迹·危迫之悃, 亦豈於普照竝育之中耶? 玆冒萬死, 仰控血忱, 伏乞天地父母, 曲察臣決不可出之勢, 仍諒臣必不可强之情, 遞臣所兼同義禁之任, 使大獄無滯, 私義無虧焉, 臣無任屛營祈懇之至, 謹昧死以聞。答曰, 卿勿固辭, 從速察任。

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