○ 備邊司啓曰, 自經乙·丙飢疫以後, 諸道各邑京上納之物, 多有未收, 以致守令解由, 多所拘礙, 故守令數遞, 豈由於此, 而各邑之凋弊, 在在皆然, 銓曹注擬之際, 亦以此爲拘, 未免有苟簡之患, 故曾於榻前, 以解由規式, 稍加變通之道, 陳達蒙允, 而連因廊廟諸臣有故, 不卽擧行, 今始略加講定, 就前規式, 增損磨鍊, 別單書入, 啓下後, 卽爲分付于諸道及各該衙門, 以爲定式遵行之地, 何如? 傳曰, 允。