○ 持平朴熙晉啓曰, 卽伏見大臣箚論尹浚事, 臣不勝瞿然, 繼之以訝惑也。末世士習, 雖曰不古, 其秉心制行, 自有道理, 間或有言論失中, 處事妄率, 則只施儒罰, 用示規警者, 待士之道, 誠然, 而非可論於桎梏箠楚故也。今浚則不然, 若欲爲先正辯誣, 構疏借疏, 光明正大, 夫誰曰不可, 而僞作休紙, 假稱某文, 交構於師生之間, 起鬧於搢紳之上, 用意之回互, 行己之卑賤, 實輿儓駔儈之所羞, 人心之憤惋, 久而未已, 而疏儒之外, 曾無目見其事狀, 置之疑信, 莫有論者。頃伏見大臣筵奏之出擧行條者, 前日所聞, 至此益驗, 臣果論列, 而此亦奸細之輩, 決不可以士子待之, 宜示懲惡之道, 故以囚禁科罪, 爲請矣。今大臣, 以連累諸生爲慮, 以械治未安爲言, 有若以臣囚禁之啓, 爲乖當者然, 臣於此何敢自謂無失, 而晏然於臺次乎? 請命遞斥臣職。答曰, 勿辭, 退待物論。