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승정원일기 24책 (탈초본 458책) 숙종 37년 1월 1일 경인 8/9 기사 1711년  康熙(淸/聖祖) 50년

慶尙道 安東 등의 關王廟를 守護하는 등의 일을 本道에서 시행하라고 분부하기를 청함

    ○ 政院啓辭, 傳曰, 南關王廟駕次時, 星州·安東兩邑關王廟見存形止, 問于本道事, 下敎, 其時禮曹草記, 亦以自今勿爲廢置, 另加修補事, 判下矣。今此該曹之行會本道, 似由於未詳其時曲折之致, 更爲問啓事, 命下矣。禮曹郞廳, 更爲招問, 則以爲, 取考文書, 則癸未南關王廟駕幸時, 有星州·安東關王像, 有令本道啓聞之敎, 又因本道狀聞, 有稟處之命, 而本曹回啓內, 星州·安東兩邑生關王遺像及廟宇, 皆唐將之所建設。星州則旣自本官隨毁隨補, 不廢守護, 安東則移中間建於寺刹近處, 又使僧人守護云, 自是一處廟宇, 而安東之獨處於僧人之徒, 亦無自官守護之事, 殊欠着實之意, 誠如聖敎, 令本官定廟直, 修補廟宇, 一如星州例施行事, 蒙允, 而今番回啓時, 年久文書, 未能搜考, 現存形止, 更爲行會査問於本道云。該曹之不能考出文書, 泛然行會, 難免不察之失, 當該堂上郞廳, 竝推考警責, 旣有癸未定奪分付之事, 則兩邑關王廟守護等事, 自本道應爲擧行, 不必等待其回移, 依例判付, 與古今島一體施行事, 分付, 何如? 傳曰, 允。

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