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승정원일기 27책 (탈초본 515책) 숙종 45년 5월 15일 정해 34/44 기사 1719년  康熙(淸/聖祖) 58년

趙道彬 등이 입대하여 西北道親騎衛別武士試才에서 沒技한 자의 直赴 불허, 미납된 騎步布의 징수 방안 미납한 訓鍊都監의 軍布 징수를 소홀히 하는 수령의 처벌에 대해 논의함

    趙道彬所達, 向因知敦寧閔鎭遠所達, 西北道親騎衛別武士試才沒技者, 勿許直赴事, 旣已定奪。而令前入格未回達者四人, 何以爲之? 健命曰, 今春定奪之前, 則沒技者一行缺不然而兵曹尤甚, 庫儲枵罄, 無以繼用。騎步布應納之類, 絶不來納, 自壬辰至戊戌各年條未收之數, 幾至千餘同。各樣恒式應下之布, 亦不得趁時上下, 而不時國役之外, 諸各司加出, 不啻夥然, 用度則比前倍加, 本司軍色所管騎步布一年通六番捧上之數, 乃二千三百餘同, 而通一年應下之數, 乃二千一百餘同。此外種種加下別下之不入應下者, 又多有之。設令一年應納之數, 一一準捧, 量入爲出, 不過爲僅僅支過矣。壬辰以後未收, 朝家雖已停捧, 丁·戊兩年未收之布, 勢將一一準捧然後, 或可支過, 而卽今未捧, 至於四百餘同。各邑委以癘疫饑饉, 元不動念, 守令雖或成陳省, 上送色吏, 中間偸竊, 初不來納者又多, 故經費日縮, 莫可收拾, 不可不別樣變通。勿論三年六年窠守令, 過其等內應納之布, 不爲督捧而遞歸者, 一同以上未收, 不以停捧施行, 切勿許解由。丁·戊兩年未捧之數, 限以六月, 若有未及者, 則依還上居末例, 或論罷或營門決杖, 以此定式, 未知何如? 健命曰, 守令之慢忽, 雖甚可駭, 五六月劇農之時, 決難準捧, 退以秋間, 定限申飭, 則庶可收捧, 而民間, 亦可措手矣。道彬曰, 頃於榻前陳稟, 抄出捧未捧, 而其時守令, 或身死或罪罷, 已遞之官, 雖被警責, 亦無所及。雖在時任者, 已罷其職, 則似無實效, 徒貽迎送之弊, 反不如決杖之爲愈。卽今民間饑困, 大臣之言如此, 固難急急收捧, 而若以秋成爲限, 則無異退捧, 事甚切憫。其中色吏偸食不納者, 亦多有之, 如此督令而後, 可以捧出矣。令曰, 依爲之。李弘述曰, 都監軍布, 事體自別, 十月內畢納, 事目至嚴, 而近年以來, 守令慢不擧行, 經年之後, 尙今不納, 卽今未收者多, 未納守令, 一依兵曹軍布未收例, 一體論罪似好矣。令曰, 依爲之。道彬曰, 各邑未收, 自有當番, 竝限以秋成, 則其間經費, 尤難支用。未收之數, 雖未一時督捧, 竝與色吏從中偸食之布, 而次次徵捧, 觀其勤慢, 及至秋限, 卽爲論責, 則庶或惕念矣。健命曰, 今年二行缺也。道彬曰, 限以期月, 未收邑守令, 一依還上居末例, 營門決杖事, 自今定式施行乎? 健命曰, 居末一邑, 則抄出決杖無妨矣。令曰, 依爲之。出擧條 

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