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승정원일기 28책 (탈초본 523책) 숙종 46년 6월 17일 임자 19/20 기사 1720년  康熙(淸/聖祖) 59년

成服 이후에 朝臣들이 哭臨을 행하는 일 등에 대해 所懷를 진달하는 申晳의 상소

    ○ 正言申晳疏曰, 伏以皇天降割, 生民無祿, 大行大王, 奄棄群臣, 深山窮谷, 莫不奔走號慕, 如喪考妣。伏惟我殿下, 以純至之孝, 受付畀之重, 踐位行禮, 其何以爲懷也? 帝王之孝, 異於匹庶, 不但爲哀痛瘝疼, 惟在乎善繼而善述, 切望殿下, 深加節抑, 勉從禮制, 凡於造次施措之間, 必遵先朝成憲, 以盡追孝之道焉。今此服喪諸節, 悉行古禮, 一變前代之俗制, 此實由於大行大王聖學高明, 預垂成命, 而亦惟我殿下孝思罔愆, 克體先旨, 斷行不疑, 能盡大事, 凡在率土臣民, 孰不欽仰而感歎也? 第於節目間事, 猶有所疎略者, 成服後, 廷臣朝夕之臨, 參以情禮, 宜不可闕, 而朔望陪祭之外, 雖禁省入直者, 終不得一番入臨, 則是豈情禮之所可安者乎? 皇朝雖行易月之制, 猶於成服後, 有三日朝夕臨·七日朝臨之制, 此不可謂無其例也。傳不云乎? 與其禮有餘而哀不足, 不若哀有餘而禮不足。今日之事, 禮則誠有餘, 而展哀之道, 或似不足, 此豈非甚可惜者哉? 伏願殿下, 俯詢禮官, 亟定哭臨之節, 或限以因山, 或限以公除, 俾少伸哀慕之情。朝臣受杖一條, 亦有可言者。今各司官長之外, 雖宰列從班, 皆不許受杖。雖曰援據古禮, 而曾經侍從專奏事之官, 皆令受杖, 亦豈非朱子定論乎? 日者, 館儒之疏, 明有所據, 而禮官略之不然, 臣竊慨然, 亦令禮官, 盡卽變通, 俾無斑駁之譏, 恐不可已也。臣於殯殿事, 尤有所深缺二字隱歎者。臣伏聞宣政殿設殯, 實有大行遺敎, 宣政殿, 非時御所, 則當喪移奉之難, 大行大王, 亦豈不念, 而前旣缺九行 答曰, 省疏具悉。疏辭奉移, 事體重大, 當議于諸大臣處之, 哭臨·受杖事, 令禮官稟處。下款事, 已經大霈, 勿論宜矣。

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