○ 又以御營廳言啓曰, 朝者伏見東營入直把摠手本, 則今日曉頭, 何許喪二字缺司僕, 踰越宮墻, 入于東營, 入直軍卒輩執捉之際, 三字缺所佩之刀, 故結縛後, 問其姓名居住, 卽忠淸道文義居金汝昌爲名者, 今方拘留云。聞來不勝驚駭, 使入直別將, 更加査問, 則以爲渠以無父母無妻子之人, 破家流離, 莫適所從, 而得聞朝家戶布口錢便否訪問之令, 欲陳迷滯之見。又不忍隣族之侵役, 欲伸至冤, 不知踰越宮墻之罪重, 昨日昏後, 更鼓未下之前, 果從宮墻北邊松枝低垂於墻外處, 攀緣其枝, 踰入墻內。彷徨之際, 日已向曉, 爲巡卒所逐, 又從東墻低處跳出, 被捉之時, 勢難逃生, 欲拔刀自決云。踰越宮墻, 自有其律, 而其所爲說, 亦甚虛謊, 令該曹嚴加究問, 依律處之, 何如? 傳曰, 允。