○ 又以戶曹言啓曰, 卽因全羅都事兼海運判官金始鑌狀請, 法聖等三倉漕船所載稅穀捧上時, 別營一依他倉例, 船人執枰事, 自廟堂覆啓依施矣。別營乃輦下軍兵放糧之所, 本曹郞廳, 句管捧給, 則非但事體之與他倉自別, 以斛捧上, 逐名斗給之際, 欠縮之數, 極其夥多。此亦不可不念, 而今爲漕卒之情願, 使船人執枰, 一任其輕捧, 則其所欠縮, 必倍於前, 若慮欠縮之過多, 從輕放下, 則殊非朝家廩養之意, 亦有軍兵呼冤之端, 事勢節節難便, 決不可猝然變通, 以啓本營無窮之弊。仍前使庫子, 執枰捧上之意, 分付本道, 何如? 傳曰, 允。