○ 癸卯七月初八日辰時, 上御熙政堂, 藥房入診入侍, 右議政崔錫恒, 微稟同爲入侍, 提調李台佐, 副提調金始煥, 假注書金權, 記事官申致雲·曺命敎入侍。醫官李時聖·權聖徵·許坫·方震夔·吳重卨·崔泰齡·辛必昌, 儒醫李溟, 司䆃主簿崔恒齡同爲入侍。上西向坐, 王世弟伏於御榻右, 諸臣入伏訖。崔錫恒進伏曰, 開膿已累日, 聖候, 若何? 上曰, 一樣矣。李台佐曰, 伏見本院啓稟批答, 則以水剌差減爲敎, 誠爲悶迫矣。腫處久不收斂, 理勢似然矣。而寢睡安穩, 此則多幸矣。又曰, 他醫皆連爲診脈, 首醫李時聖, 儒醫李溟, 使之診脈, 爲宜矣。金始煥曰, 李溟, 新從下土, 初見君父, 或不無失措之事, 使之擧頭瞻望, 何如? 上曰, 唯。李時聖診後退伏曰, 左右脈候沈朔矣。李溟曰, 左右脈度沈數, 玉色瞻望, 則氣乍上矣。台佐曰, 令鍼醫診察腫處, 臣等請同爲診察矣。又曰, 閉分閤事, 敢稟。上曰, 唯。小官, 閉左右分閤, 王世弟起立診察後, 退伏於座次。諸鍼醫, 以次入診察。右相及兩提調, 同起診察。吳重卨, 告去藥拔紙撚, 搾出膿汁, 改揷紙撚, 付黃膏膏[牛黃膏]。右相及兩提調退伏, 諸鍼醫以次退伏。吳重卨曰, 核處消減, 濃汁流出, 腫處順矣。諸醫所達, 大略同。台佐曰, 腫處上凝結處, 醫言不無蔓延之患, 故深用仰慮矣。膿汁漸漸流出, 結核亦爲消減, 誠爲多幸矣。今番腫患, 分野旣輕, 又無瘡根, 似爲輕歇, 而醫言, 濕會成腫云, 腫家所忌, 在於動氣, 氣動則百日之內, 又爲復發, 聖上豈有動氣之事, 而敢以愼疾之道, 仰達矣。雖閭巷之人, 夏秋之交, 有痰火之病者, 發怒洩氣, 則不無所益, 而瘡腫所忌, 旣如此, 各別留念愼攝伏望。始煥曰, 提調所達之言, 出於至誠矣。臣等在外, 與醫官講論調攝之道, 腫患, 若有作氣之事, 則開穴之後, 合瘡未易云, 各別體念爲宜矣。台佐曰, 調攝之道, 貴於靜, 古人云靜攝。又曰, 靜而制動。伏望以一靜字, 留念調攝, 何如? 崔錫恒曰, 人主喜怒之節, 雖非調攝之中, 不可不愼。群下如有所失, 則從輕重科罪, 可也。本不當加以形色, 矧今上候, 方在靜攝中, 辭氣之間, 尤當審愼矣。上曰, 然矣。錫恒曰, 勅使, 以自上不得郊迎之由, 書給文字云。故臣初以不必別成文字, 勅使接見時說話中, 有病患不得郊迎一條書給事, 昨已啓稟矣。更思之, 接見時說話, 乃是上敎, 以此書給, 終涉未安, 更成一通文字以給, 似爲得宜, 故敢此仰達。上曰, 依爲之。錫恒曰, 然則書入措語, 一經御覽, 踏啓字以下, 載錄於槐院膽錄爲宜, 故敢達。錫恒曰, 聖上方在靜攝中, 館所擧動, 雖不可親臨, 王世弟一番往臨, 恐不可已矣。上曰, 依爲之。錫恒曰, 明日無故, 世弟館所擧動, 定於明日, 似好矣。上曰, 唯。出榻前下敎 錫恒曰, 昨日都監堂上, 以大臣往設茶禮之意, 傳言於勅使, 則勅使以爲, 茶禮雖不可受, 議政若來, 則豈不相見云? 旣不設茶, 則大臣無入見之義, 而彼若必欲見之, 而終不聽許, 則不無生梗之慮, 詢問諸臣而下敎, 何如? 台佐曰, 大臣旣以請行茶禮事, 進去, 一二番持難之後, 雖或相見, 似無所妨。錫恒曰, 然則如或强請, 則勢將入見矣。上曰, 唯。錫恒曰, 都目大政, 國家所重, 而今已過時, 勅行還歸後, 所當卽爲設行。而吏判, 方陳辭疏, 未及承批, 待勅使回還後, 趁卽設行事, 分付, 何如? 上曰, 依爲之。出榻前下敎 崔錫恒曰, 慶尙監司, 以中間遞易之故, 曠廢公務, 將及半年, 事甚可慮矣。新監司李世瑾, 今已來到城中, 而以辭疏未及批之故, 不得出肅云。批下後, 催促赴任, 何如? 上曰, 依爲之。諸臣退伏, 以次趨出。