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승정원일기 30책 (탈초본 565책) 경종 4년 4월 13일 병진 22/30 기사 1724년  雍正(淸/世宗) 2년

趙爾重 등에게서 籍沒한 田畓을 本寺에 속하게 하여 補用하게 할 것 등을 청하는 內資寺의 계

    ○ 內資寺提調南就明啓曰, 本寺, 以逐日供上衙門, 殘弊難支, 前者大臣筵奏, 提調啓請, 每歸廢格, 則今不當復事煩複, 而事勢有萬萬不得已者, 蓋本寺應進供上, 及三殿誕日與四節日物膳, 酒各二十甁之外, 自庚子爲始, 王大妃殿香醞及日下酒, 依戊辰以前例, 逐日封進, 而曾前則旣有奴婢, 設立酒庫, 備置器皿等物, 擇立酒母, 給料釀酒, 故少無苟艱之弊矣。到今三十年中廢之餘, 有同創設, 器皿散失, 旣無釀酒之所, 婢子散亡, 又無掌酒之人, 每當供上之際, 私買村釀, 雇人借器, 以苟且䌤縫爲事, 旣是莫重御供香醞, 而不成貌樣, 至於如此, 事體道理, 誠可寒心。卽今之道, 惟當從便區劃, 凡干器具, 一齊準備, 酒母料布, 逐朔計給, 然後方可以自本寺公釀以進, 而其勢無路。且宗廟薦新西眞瓜及各殿逐日供上沈菜等物, 雖令資用於若干位田, 而所謂位田, 擧皆陳廢, 無以責應, 故莫重供上, 幾至闕封之境, 此等變通之道, 有不容少緩矣。庚子年, 旣得折受, 旋卽革罷, 前提調臣李正臣, 啓請復舊, 蒙允之後, 一遵成命, 分送差人, 使之與該邑監色, 眼同打量, 則或稱庚子無主處, 盡入新量而無餘, 或稱待秋擧行事論報, 而終不施行, 故差人輩, 不得打量虛還, 而只長水一邑, 依庚子打量, 三結成冊修送矣, 亦因憲臣啓罷, 終未免寢格, 若因此而竟不得變通, 則各樣供上, 必將生事, 本寺形勢, 誠甚悶迫。爲今之策, 只有今番籍沒田民劃給之道, 爾重·KC04585·時耉籍沒田畓, 特命該曹, 卽速劃給本寺, 以爲收稅補用之地, 供上時使喚奴婢, 各十口出給事, 亦爲依前成命, 分付施行, 何如? 答曰, 依啓。

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