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승정원일기 31책 (탈초본 581책) 영조 즉위년 12월 6일 을해 42/54 기사 1724년  雍正(淸/世宗) 2년

金一鏡에 대한 庭鞫을 각별히 嚴重히 하였는데 金一鏡을 옹호했다는 배척을 받았다는 이유로 削職을 청하는 趙泰億의 상소

    ○ 右議政趙泰億疏曰, 伏以, 臣於再昨習儀罷後, 卽偕首相, 直趨禁府, 方欲按鞫兩囚, 伏承庭鞫設行之命, 卽復促駕入闕中, 至進善門, 則召牌下矣。遂詣內兵曹, 達夜按問一鏡, 天明有姑罷之命, 首相則未參刑推之坐, 故臣乍參朝哭班, 直還禁府。因臺諫之不齊, 差晩始得開坐, 承命刑訊一鏡。蓋以聖上之特命庭鞫, 只爲獄體之嚴重, 臣等奉行之道, 不容少緩, 故申勅堂郞, 務嚴重其事, 而一鏡, 纔經府堂, 府隷之操杖者, 或不無拘顔情欲歇杖之慮, 臣親招都事之掌刑房者二人語之曰, 此罪人, 不可泛然刑推, 況自上下各別嚴刑之敎, 別爲申勅檢杖, 至再次判付下臣。又曰, 除尋常, 各別嚴刑, 又是另飭之敎, 尤不可不別樣嚴刑, 禁堂沈壽賢·吳命恒等, 各自嚴勅郞吏, 使之箇箇檢飭, 此則昨日一府上下所共目見者也。罷歸之後, 伏聞前正郞李台徵上疏, 請行親鞫, 謂諸臣營護, 自初彰著, 必不肯一一究覈, 安保無周遮彌縫云云。其言至深險, 有若臣等, 容護罪人, 不盡心於懲討者然, 噫嘻, 是何言也? 臣於罪人, 本無一毫顧惜之情, 焉有縱緩疏忽之念哉? 當初不敢但顧私嫌, 請其嚴討者, 臣也。因山前請鞫, 卽遣都事拿來者, 亦臣也。拈出其可問文字, 請添入問目者, 亦臣也。庭鞫命下, 不待命招, 卽入闕中, 通宵盤詰, 坐而待曙, 因出本府, 督促開坐, 嚴飭郞吏, 不啻三令五申者, 蓋所以奉承上命, 罔放少忽。此心耿耿, 可質天日, 而人之爲言, 愈往愈甚, 至以此等辭說, 粧撰構陷, 一至於此, 臣何敢曰我無此事, 而晏然按獄, 以益國人之疑惑乎? 鞫廳之坐, 大臣·諸堂·兩司·承旨·諸問郞·諸都事進參者幾人, 罪人之擧證援告, 一出於其口, 則設有無狀者一人, 欲爲之周遮彌縫, 許多耳目, 其可欺乎? 如許罔測之說, 欲以爲構陷諸臣, 熒惑天聽之計, 不亦危怖之甚者乎? 人言轉益如此, 情地轉益惶蹙, 顧以何心, 復按此獄, 不思所以自處之道乎? 今日鞫坐, 不敢出令, 習儀無由進參, 席藁私次, 恭俟威命。伏乞聖慈, 俯察臣危迫之懇, 卽命鐫削臣職秩, 仍治臣負犯, 以爲人臣負國者之戒, 以嚴公法, 以重獄體, 臣不勝惶恐祈懇之至。答曰, 省疏具悉卿懇。已諭於首揆之批矣, 卿等之心, 予已洞知, 卿其安心勿待罪, 卽出擧行。仍傳曰, 遣史官傳諭。

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