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승정원일기 31책 (탈초본 581책) 영조 즉위년 12월 6일 을해 46/54 기사 1724년  雍正(淸/世宗) 2년

병이 있는 것과 儒生들이 祖父 등을 모함한 것을 이유로 本職과 兼職의 削職을 청하는 尹行敎의 상소

    ○ 大司憲尹行敎疏曰, 伏以, 臣素患痰火, 已作四十年痼疾。每當秋冬, 輒經危惡境界, 以此前此兩歲, 入冬則輒受暇歸調, 今年則待罪松都, 仍經冬寒, 臣本生長南方, 不服水土, 舊疾爲祟, 新證挾發, 沈淹床席, 不分人鬼者, 殆四十餘日, 若待交龜之期, 恐作異鄕之鬼, 爲就醫藥, 忍死登途, 寸寸前進, 入城已若干日矣。卽今病情, 一分無減, 頑痰塞胸, 呼吸喘急, 有時昏窒, 日輒四五, 加以衂血間作, 失血過多, 暈眩昏頓, 不能擧頭, 轉側之際, 輒須人扶, 而交印事重, 擔舁扶持, 僅僅傳授, 所帶密符, 亦當躬自納還, 而顧此氣息, 萬無跬步自運之路, 百爾思度, 計不獲已, 玆令褊裨替納, 迹涉偃蹇, 不勝隕越。且伏見近來疏章, 多以斯文事爲言, 此則指臣家事也。私心惶蹙, 已不可言, 而日昨兩儒疏, 所以構揑臣祖若父者, 無所不至, 殆無人理, 臣不欲濡口辨理, 而況不較無辨, 卽臣家傳守家法, 不見是而無悶, 亦臣父之所雅言, 則臣何敢輒渝家法, 以負臣祖臣父於九原也? 所自痛者, 臣之父祖, 平生服春秋之義, 法朱子之道, 而乃反以此見罪於人也。聖上旣命還給其疏矣, 臣不敢容喙於其間, 而旣不能訟於公朝, 只彯纓結綬, 揚揚於淸顯之列, 自同於無故之人, 亦義之所不敢出也。雖無疾病, 其不可從仕則已決矣。況今因山迫臨, 職掌導駕, 而顧臣情病, 如右所陳, 萬無轉動之勢, 臣罪至此, 萬戮猶輕。噫, 臣受恩三朝, 糜粉難酬, 力分所及, 死且不辭, 陳力就列, 寧或敢後, 而疾痼情蹙, 事與心違, 常節之恭, 亦不能自盡, 有臣如此, 生不如死。伏地悲咽, 惟有涕泣兢惶而已。伏乞聖慈, 天地父母, 特垂怜察, 亟命鐫削臣本兼兩任, 仍治臣違傲之罪, 以勵公法, 以安私分, 千萬幸甚。答曰, 省疏具悉, 鄕儒之言, 何必深嫌? 卿其勿辭, 調理行公。

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