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승정원일기 35책 (탈초본 649책) 영조 3년 11월 8일 경신 31/32 기사 1727년  雍正(淸/世宗) 5년

    鎭禧曰, 穩城荒絶, 只有士子十餘人, 文敎未及, 士無考德之地, 曾在己卯, 故應敎奇遵, 以己卯名賢, 謫居此地, 未久被禍, 而士子至今, 尊尙荒遠之俗, 賴以興起, 曾於萬曆丙午, 創立院宇, 至今尊奉爲俎豆之所, 自始創至今日, 已一百二十餘年, 而絶塞士子, 無請額之路, 至今闕焉不擧, 頗有失望之心, 方當書院嚴禁之時, 不可陳請, 而此則與他有異, 蓋奇遵, 與先正臣趙光祖, 同被禍於己卯, 其在尊尙名節之道, 不可不各別表章, 且荒遠之俗, 異於三南, 若自朝家, 有賜額表章之擧, 則遠方士子, 必將聳聽, 其於土地風俗, 爲益不少, 請令該曹稟處。上曰, 近來書院, 已成痼弊, 此雖與他有別, 方當去濫之時, 一邊嚴禁, 一邊賜額, 似非愼重之道, 宜令該曹, 道臣下去後, 問年限稟處, 可也。出擧條 

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