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승정원일기 36책 (탈초본 658책) 영조 4년 3월 18일 무진 27/30 기사 1728년  雍正(淸/世宗) 6년

    ○ 辰時, 上御仁政門, 親鞫入侍時, 行都承旨尹淳, 左承旨兪命凝, 右承旨柳綎, 左副承旨權益淳, 右副承旨尹㝚, 同副承旨鄭錫五, 假注書鄭道殷·李裕身, 事變假注書沈星鎭, 記事官李宗白·李周鎭。領議政李光佐, 左議政趙泰億進曰, 夜間聖體, 若何? 上曰, 無事。光佐曰, 大王大妃殿·王大妃殿氣候連伏承例批, 槪伏審一向安寧, 實爲慶幸矣。上曰, 唯。上曰, 都巡撫, 何時出去乎? 光佐曰, 抄選軍兵於禁營, 未知已離去否也。上曰, 招問禁營敎鍊官, 可也。上曰, 今日內各司摘奸時, 宣傳官李思弼, 無緣闕直, 當此宮城環衛, 宣傳官全數入直之日, 公然闕直, 殊極駭然, 爲先拿問, 可也。榻前下敎 光佐曰, 忠州營將, 口傳差出, 何如? 上曰, 宣傳官有闕之代, 及忠州營將, 口傳差出, 而令次官開政後, 兼領大臣, 書送望單, 差出, 可也。榻前下敎  上曰, 國家多事之時, 尤不可擇人, 勿拘色目, 限才是用, 可也。榻前下敎 宋寅明曰, 李衡詳·趙德隣, 俱有才望, 爲嶺南巨擘, 勿拘資級, 收用, 何如? 上曰, 問于大臣。柳綎啓曰, 禁營敎鍊官還告曰, 都巡撫使, 已出去云矣。上曰, 唯。李㙫曰, 別試講經, 當自明日爲始, 而親鞫相値, 變通差退, 何如? 上曰, 日字差退, 可也。進宴習儀, 又爲相値, 進宴定日, 則當稟慈旨, 而習儀則限親鞫間姑停, 可也。竝出榻前下敎 光佐曰, 成歡察訪, 以武弁極擇差出, 當刻內發送, 何如? 上曰, 依爲之。榻前下敎 朴師洙·尹容, 請對入侍。上曰, 何以請對耶? 師洙·曰, 逆變罔極。防守之策, 略有所懷, 故欲仰達矣。上曰, 進來, 低聲陳達, 可也。師洙曰, 臣等, 連日來待闕中, 而朝家施措, 甚多虛疎。廣州·龍仁間路要害處, 令親信將領, 率兵駐扎, 以防其來爲急, 賊之分兵入寇之時, 豈必由大道而來乎? 曰, 今玆小醜, 若得一擧勦滅則爲大幸, 而若或遲久, 則軍餉無以繼給, 如海運之穀, 有非人力, 可以及時輸上, 而水上所儲糧餉, 則各其邑, 督令輸下, 何如? 上曰, 依爲之。師洙曰, 水原府使宋眞明, 以白面書生, 猝當軍興, 難以應機制敵, 楊州牧使李徵休, 不善治民, 此亦改差, 以武臣擇差, 防守要害爲好矣。廣州亦是保障之地, 宜有一體變通之道矣。上曰, 見大臣問議以來, 可也。執義金始炯啓曰, 請亡命罪人鳳祥, 依律處斷。上曰, 勿煩。大司諫宋寅明啓曰, 當國勢危疑, 人心波蕩之日, 位高朝臣, 義同休戚, 宜不敢爲出避之計, 而卽聞知事姜鋧, 前監司趙尙絅, 都城戒嚴之初, 渾舍下鄕云, 其在分義, 豈容若是? 請知事姜鋧, 前監司趙尙絅, 姑先罷職。上曰, 依啓。又啓曰, 當此國勢危疑之日, 禁中入直, 何等嚴重, 而昨日入直宣傳官一人, 無端闕直, 關係紀律, 不可不各別嚴斷。請昨日闕直宣傳官, 亟命依軍律, 直爲梟示。上曰, 不允。上曰, 兩局大將, 有稟定事耶? 文命曰, 卽今獄情, 雖未詳知, 大體則不可以仁慈爲主, 必須嚴急究治, 然後方可爲鎭服之道, 城內外譏捕之類, 或有形迹之可疑者, 或有形迹之已彰者, 不下一杖, 已有取服者, 究問之際, 雖非直款, 亦有疑端層出者, 當此危疑之際, 如此之類, 自陣中直爲正法, 俱無妨矣。上曰, 然矣。曰, 卽今所恃者軍情, 莫不有一死之心矣。昨承傳敎, 以酒肴分給諸將校軍卒, 則每名, 酒爲半鍾子, 而聞其私語, 則皆曰此酒半勺, 何如是醉飽云云, 以此大可見軍情矣。卽今軍餉方急, 而海運貢稅船, 觀望不爲前進云, 事極痛駭。令各其邑督令上送之意, 分付, 何如? 上曰, 依爲之。榻前下敎 曰, 都監馬兵三哨出征, 而馬草甚艱, 輿人空石, 隨宜劃給, 糧餉廳有馬太可給者, 竝量入出給, 何如? 上曰, 依爲之。曰, 閭閻劫掠, 極可慮。日昏後, 卽爲出送巡羅, 何如? 上曰, 依爲之。東弼曰, 臣親承聖敎, 罪人徵夏處刑推後, 卽捧結案侤音, 則罪人復申前說, 比前尤甚, 無倫不道之說, 百倍初疏, 其招辭, 自上取覽後, 當待處分矣。上曰, 持來則上之。東弼曰, 當正書以入矣。東弼曰, 臣於去夜, 旣承趁早朝, 曉諭都民之命, 而以金吾事稟定爲急, 發牌京兆郞部官, 分部出送, 使之先爲曉諭, 臣亦駐車鍾街, 傳諭聖敎, 宣布德意, 則千百爲群, 莫不仰手攢祝, 頗有鎭定之望, 而民間情願, 多有擁車呼訴者, 故敢此陳達矣。貢物若而等旣已分給, 故昨今市直稍勝, 但當朔應下之價, 首堂上未及成貼之故, 多未上下, 擧皆悶急云。首堂吳命恒, 旣出外, 不可膠守常規, 卽令次堂上擧行, 而如尙方貢物, 今朔應下之價, 亦不上下云。如此等事, 卽令次堂擧行, 加用之價, 亦爲磨鍊分給之意, 分付戶曹, 何如? 上曰, 依爲之。東弼曰, 鞫廳設後, 各自進排之物, 多有不給價而濫取用者, 如蔬菜廛女人輩, 擁車呼冤, 價本從實直上下, 中間索賂之弊, 亦爲嚴飭各該司與義禁府, 何如? 上曰, 依爲之。東弼曰, 當此時諸司推捉之弊, 至爲煩多, 如稅馬契人, 不爲立馬, 奉常寺貢物人作脯未收之類, 紛紜推捉囚繫多端, 如許等事, 徵治安徐, 輕囚放送之意, 亦爲分付該司與秋曹, 何如? 上曰, 依爲之。東弼曰, 親鞫日, 各司雖不開坐, 堂郞, 闕內待令外, 往來本司, 看檢諸務, 郞廳則全數仕進之意, 分付, 何如? 上曰, 依爲之。竝出擧條 東弼曰, 今此小醜, 不過若而强盜, 出沒畿甸, 恣行抄掠之事, 雖以罪人拿來都事, 歷路所傳之言, 見之, 稷山·成歡等地, 官隷民屬, 聞風驚散, 一邑空虛多日, 而倉庾官舍, 無一侵犯, 摠戎使大陣及都巡撫使次第下去, 蕞爾徒黨, 不日當速天誅, 固無可慮, 而卽今最可憂者, 京外士民, 不知此曲折, 轉相騷擾, 鎭定無期, 安集散民, 不失耕農, 爲第一急務。外方處處劫掠之徒, 若有捉來探告者, 則別樣施賞, 初雖知情, 亦許宥赦之意, 明日知委於諸道, 何如? 上曰, 依爲之。東弼曰, 都城內外無賴輩, 假托騷屑, 侵掠閭巷者, 亦令捕廳, 各別禁斷, 其中情犯絶痛之類, 直爲梟示於陣上之意, 分付該廳, 而亦爲知委五部, 俾令小民無犯, 何如? 上曰, 依爲之。東弼曰, 江倉官員, 全數守直, 亦令捕廳將校, 時時巡檢, 詗察非常, 何如? 上曰, 江倉防守, 不可疎忽, 詗察非常, 政宜矣。以此分付, 可也。竝出擧條, 江倉官員以下, 勿出朝報  領府事洪致中入侍。上曰, 洪領府事進來。昨秋處分不無混同, 予知其過, 而卿因此不爲上來, 見今不無歉然之心矣。致中曰, 臣前後罪犯至重, 而聖恩天大, 不賜勘處, 使得優遊鄕里, 安閑自在, 惶感之心, 何時暫已? 國家不幸, 變亂叵測, 如臣不似, 致位三事, 不能調劑鎭服, 使人心世道至此, 此尤臣罪。身在鄕曲, 道路僻左, 十六日夕, 始聞此奇, 罔夜上來, 今始入侍, 惶悚尤甚矣。上曰, 曾前, 予雖不知卿之心, 如此之時, 勿復下去, 與時任, 同議國事, 以濟時艱, 可也。致中曰, 臣雖不知賊勢之何如, 而聞兩班士族, 多入其黨, 此與山澤嘯聚, 有異, 而此是烏合, 非常時組練之卒, 渠豈有根本之固密? 雖以畿伯狀啓見之, 決非形勢之鴟張, 而官軍已爲調發, 廣布譏探, 盜不足平, 而官軍若或前頭, 一失事機, 則人心必爲瓦解, 將兵之臣, 亦當慮此, 勿爲過自驚憂焉。臣在驪州, 利川·竹山, 爲接界, 其道里遠近, 雖未詳知, 或因道聽塗說而聞之, 則有許多云云之說, ·之間, 私相搔擾, 而至於竹山, 則全不忌諱, 傳播騷屑, 臣聞之, 極爲怪駭矣。畢竟有此變, 人心世道, 無可言者, 賊黨之聚會山峽, 其勢必然, 而·, 野少峽多, 素稱有明火賊窟穴云。此輩乘時和應, 則其憂極大, 驪州·利川兩守, 則以武將極擇差送, 以防盜賊依歸之路, 何如? 聞卽今則利川士民, 多有投入者, 此甚可慮矣。上曰, 驪州一境則晏然乎? 致中曰, 驪州一境, 皆非目覩, 則何以的知, 而告變未入之前, 兩班士族, 或移徙而去者, 間間有之, 常人則不爲移動矣。嶺南, 自忠州, 抵驪州爲直路, 擇人而處, 可無患矣。上曰, 領相進來, 原任大臣, 以·爲憂, 何如? 光佐曰, 俄欲陳達而未及矣。卽今賊情難測, 人心難定, ·雖不如竹山之搔擾, 賊若失勢, 則必爲隱匿於東峽, 當其時, 沮遏歸路爲好, 卽今賊中事狀, 悉爲探知後, 武將中擇送爲好矣。俄因朴師洙所達, 有楊廣·水原變通事, 問議之敎, 而廣州設立以後, 無武臣差送之規, 壬辰戰功, 文宰名士居多, 而武將則不過李舜臣等數人, 不可輕易變通, 而楊牧則旣知不治之狀, 變通亦無妨矣。上入幕次, 召領議政李光佐, 以賊臣泰徵拿來事, 下密諭, 復還御帳殿。曰, 原任大臣入來, 亦爲省記留闕乎? 上曰, 原任大臣, 亦依時任大臣例, 別省記留闕之意, 往諭焉。曰, 宣傳官武兼及左右通禮, 尙瑞院官員, 竝爲別省記外入直, 故自今日, 更爲別省記之意, 敢啓。上曰, 知道。曰, 諸道旣送諭旨, 兩道別遣御使處, 亦爲書送, 以察賊情, 何如? 上曰, 依。全羅道別遣御使李匡德, 湖西別遣御使李道謙, 今者陽城·振威之間, 有奸徒百餘名聚會之際, 變書屢上, 多所逮捕, 未就捕者, 方發遣將領, 以爲掩討勦滅之計, 而奸徒亦已太半駭散, 無足可慮, 而因此道路流播之言, 致有閭里騷擾之患, 則其爲可憂, 有倍於一時奸徒之竊發。到關文卽時, 宣布朝家德意, 俾無驚擾疑動, 妨農失業之患, 此爲第一急務, 而稷山境, 必有奸徒潛伏之所, 亦爲密密伺察, 邊山等, 亦爲譏探, 從便緝捕, 曉諭歸正, 俾不至於轉輾詿誤之弊, 方可無日後之慮, 爾與本道監·兵使, 相議善處, 毋負委寄之意事, 有旨。光佐曰, 巡討中軍朴纘新, 領兵下去時, 沿路各邑支供事, 分付, 何如? 上曰, 依爲之。諭果川縣監權聖徵, 衿川縣令玄悌綱, 振威縣令趙東彬曰, 今此巡討中軍朴纘新領兵下去時, 軍餉, 以本縣所在還穀, 着實接濟, 萬一遲緩, 當有軍律事, 有旨。光佐曰, 動兵之際, 軍餉多用, 故長湍·南陽軍則自其邑留陣事, 已爲取稟, 而卽見廣州府尹狀啓, 則五千餘名聚會山城云。農時極有民弊, 仍爲留屯耕作之意, 分付, 何如? 上曰, 依爲之。光佐曰, 行關於江原監司處, 驪州·春川·洪川·加平間, 或有賊警, 多發譏捕, 期於搜諿之意, 分付, 何如? 上曰, 依爲之。光佐曰, 楊州牧使處, 亦以此意, 作關分付, 何如? 上曰, 依爲之。楊州境內, 自關東出來諸路, 各送伶俐將校, 十分詗探, 以察非常, 隨便防守, 而續續報知備局事, 有旨。竝榻前下敎 光佐曰, 廣州出鎭之將, 難得其人, 張鵬翼出送, 何如? 上曰, 如此之時, 如此之人, 若出送外鎭, 則內勢益輕矣。光佐曰, 廣州, 守撫無人, 斷自宸衷, 差送, 何如? 上曰, 予亦何以得其可合人也? 光佐曰, 知義禁金東弼, 差送鎭撫使, 何如? 上曰, 正合予意矣。備局吏一人, 大呼於帳外曰, 忠淸兵使, 爲賊所殺死云矣。正當光遠推問之際, 有此急報, 滿庭臣僚, 莫不驚遑。以淸州牧使朴鏜白文報狀上之。宗城進曰, 朴鏜報狀, 旣是白文, 而事係機密, 渠敢大唱, 極爲可駭, 爲先拿囚, 宜矣。上曰, 依爲之。曰, 此是白文報狀, 旣無印迹, 則其虛實, 有未可知。觀其署名, 則似是眞的, 而雖或眞有是事, 亦不必驚動矣。半夜之間, 行盜賊之事, 則可想賊勢之猶未熾盛, 此不足深慮矣。上命泰億·宗城, 出往內兵曹, 招問報狀持來人, 可也。泰億·宗城, 出問還入。宗城曰, 報狀持來人, 則自淸州, 急急上來, 足繭氣急, 不得進到備局, 朴鏜之女婿李澤佐家奴, 替受報狀以來, 臣不知其面, 且考號牌矣, 似非虛傳, 而亦不必驚動矣。光佐曰, 淸州賊報, 誠可驚心, 而今日上下, 擧皆驚遑, 坐立蒼黃, 如是而做得甚事, 萬事何嘗不因忙後錯了? 必須堅持聖心, 勿爲撓奪, 勦滅之策, 從容講究爲宜, 而不可不急通於出征將士, 俾盡應變之策矣。上曰, 卿言然矣。予亦非有動而然也。所達誠好, 依爲之。上, 下密諭于光佐曰, 如此如此。光佐又起立, 密告數次, 上招夾侍二宦下敎曰, 兩慈殿, 若聞此奇, 恐致驚動, 汝須往留于兩慈殿差備門外, 勿令此消息入達, 可也。

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