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승정원일기 36책 (탈초본 664책) 영조 4년 6월 22일 신축 30/31 기사 1728년  雍正(淸/世宗) 6년

    海恩府院君吳命恒疏曰, 伏以臣, 披瀝肝血, 再陳情悃, 辭不達意, 誠未格天, 終不免爲循俗例讓之歸, 未蒙察其實狀。矜其不能, 乃反以殊恩異數加之, 降屈喉司之臣, 特宣優渥之批。至令相守陋巷, 仍與偕來, 無狀賤臣, 何以得此? 實臣平日未能誠實, 不得見信於君父之致, 惶悚慙靦, 無以自白, 跼天蹐地, 尙何言哉? 噫, 君上有命, 雖赴湯蹈火, 宜不敢辭, 擢之台輔, 視以股肱, 其在人情, 寧有欲辭之心乎? 況臣本非山野之士, 由科而進, 爲祿而仕, 豈敢以進退之義, 傲然自處乎? 只爲大任, 決不敢當, 微分終不敢安故也。今臣所叨, 何等職責, 其所得失, 實係治亂, 匪人不利其害至於天下無邦雖在安泰之日, 尙宜愼簡。況此艱虞溢目之時, 不思得人而共濟, 顧以如臣不肖百無一能者, 容易濫授, 終致誤國而僨事, 則到此地頭, 悔之何及, 此必臣積戾深釁, 獲罪于於天, 福過招災, 死期將至而然也。今若不量蚊負之重, 惟以承命爲恭, 則微臣致寇之凶, 有不足恤, 其於聖朝灼知之明何哉? 且臣脚痺已成痼疾, 當此暑濕, 一倍添劇, 今方日試鍼藥, 亦無分效, 疼痛難堪, 蹣跚失步, 觀瞻爲駭, 儀貌先喪, 傴僂鼎席, 人謂斯何, 此又臣不可强起之一端也。言非飾外, 情實由中, 斷斷微忱, 日月攸燭。伏乞聖慈, 天地父母, 更加哀悶, 亟先召還承宣, 仍卽改正臣議政官資, 回授耆德之人, 以副朝野之望, 千萬幸甚。臣無任屛營祈懇之至。答曰, 省疏具悉卿懇。兩疏之批, 罄悉予意, 卿何不諒, 而巽讓至此哉? 目今左揆, 尙未入來, 首揆力疾獨賢, 此豈徒事謙讓, 不念國事之時乎? 故予所以不待三章, 命承宣偕來者也。卿其體君臣之大義, 念國事之岌嶪, 安心勿復過讓, 卽起視事, 用副如渴之望。仍傳曰, 使偕來承旨傳諭。

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