○ 兼輔德金鎭商疏, 伏以皇天默祐, 逆亂略平, 臣民之慶, 曷有其極? 仍竊伏念臣之退處畎畝, 十年于今矣。向於亂初, 蒼黃奔問, 冒肅宗正除命, 及夫事變稍定之後, 歸守田廬, 順解職名, 隨分偃息, 感祝聖恩, 不意乃者, 復叨春坊兼任, 除書諭旨, 絡續下臨, 臣於是, 惶駭震惕, 罔知措躬。蓋臣難進之義, 已具於乙巳辭職諸疏, 伏想聖聰, 亦必記有之矣。且臣曾於己亥告退之初, 所上景廟之書有曰, 國有危難, 臣則赴之, 幸而無此, 則編身於漁戶農廛, 歌詠聖人之恩澤, 此乃誓心矢口, 而仰陳於先王之前者, 到今忘素志而棄前言, 臣何忍爲此乎? 況臣不孝無狀, 旣不能以斗廩寸祿, 榮養父母, 今則父母俱歿, 萬事已矣。列鼎累茵, 秪益不洎之痛, 彯纓結綬, 徒爲一身之榮, 臣尤何忍爲此乎? 召命之下, 無路趨承, 玆敢封章縣道, 仰瀆宸嚴。伏乞聖慈, 俯諒至懇, 亟鐫臣新授之職, 仍命選曹, 勿復檢擬, 俾臣得以守本分而畢餘生, 千萬幸甚。謹昧死以聞。答曰, 省疏具悉。爾其勿辭, 從速上來察職。