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승정원일기 36책 (탈초본 669책) 영조 4년 8월 19일 정유 47/53 기사 1728년  雍正(淸/世宗) 6년

    ○ 禮曹參判李翊漢疏, 伏以臣年耄病痼, 不合職事, 而適當鞫事方張之日, 義不敢辭, 强疾隨參, 今至四五朔, 筋力殆盡, 若難支堪矣。日昨以長陵石物塗灰事, 奉命往返, 而宿患關隔之症, 復發於數日行役之餘, 勺水不入口, 昏昏若盡, 症情危惡, 藥餌無效, 此非一時偶感之疾, 實由於屢朔勞瘁之致, 旬月之內, 決無起動之望。況臣所帶摠管之任, 乃是宿衛重地, 來頭陵幸迫近, 以此病狀, 實無侍衛隨駕之理, 不得不疾聲呼籲於天地父母之前。伏乞亟遞臣所帶摠府摠管及金吾兼任, 以便公私, 不勝幸甚。臣於淹病之中, 適有愚淺之見, 敢此附陳, 惟聖明裁處焉。亂逆甫平, 宗社再安, 今日之急務, 惟在於速了鞫事, 安集民心, 而不幸兩大臣, 一時有病, 按獄大臣, 又因臺疏, 屛出江外, 鞫囚滿獄, 按治無人, 言念鞫事, 了當無期, 臣竊憫焉。然鞫獄則姑待大臣出仕之外, 更無他變通之路, 至於外方之囚係滿獄, 此皆軍中與營門梟示諸賊之孥屬, 必待朝家指揮應爲緣坐之類, 用以次律, 其次則或竄或放, 隨其輕重區別分處, 然後方可合於疏釋之道, 而朝家尙無處分, 外方姑未擧行, 一向滯囚, 裁斷無期, 毋論有罪無罪, 豈無愁冤之歎哉? 此則大臣雖在私次, 而取考狀聞, 隨卽稟裁, 可無如前滯鬱之弊矣, 宜令廟堂, 趁速處決, 知委擧行, 實合事宜矣。臣治疏將上之際, 以武所試官, 召牌下降, 臣之病情, 如右所陳, 末由承命, 未免坐違, 臣罪萬萬。伏願聖明, 先治臣違慢之罪, 以警具僚, 俾安私分, 千萬幸甚。謹昧死以聞。答曰, 省疏具悉。所陳事是矣, 令金吾依此擧行。卿辭若此, 兼帶摠管, 今姑許遞焉, 卿其勿辭, 調理察職。

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