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승정원일기 37책 (탈초본 678책) 영조 5년 2월 9일 갑신 24/38 기사 1729년  雍正(淸/世宗) 7년

    ○ 又啓曰, 新除授海美縣監朴敏雄戶奴呈狀內, 矣上典草野凡品, 倥侗匹夫, 旣異德義表著之士, 全昧奉職治事之方, 而因亂媒進, 遽叨是任, 向任討捕使, 竟未免譴謫者, 亦因生疏僨敗之致, 今若不懲前事, 冒沒徑出, 則前頭僨誤, 將不知其幾遭, 揣量已審, 自劃亦固, 寧被違命之誅, 斷無赴任之勢, 斯速入啓處置云。敏雄累次呈狀中, 俱以才分之難堪, 素守之難改爲言, 故以朝家擢用, 意非偶然, 益加勉勵, 赴任報效之意, 措辭題給矣。四次呈狀, 必欲不赴, 其所爲言, 不過曰因亂媒進, 內省靦面, 發牌催促, 終不動念, 朝家所以連次擢授, 蓋由其臨亂效力, 則在渠之道, 惟當感激趨承, 益思圖報之不暇, 而乃反終始力辭, 必欲圖免, 稱以守株難回, 不欲自處以常調韎韐之流者, 事體極爲駭然。而今若草記請罷, 則適中其圖免之計, 本曹請罷請推之外, 更無可施之罰, 何以爲之? 敢稟。傳曰, 雖巖穴之士, 至於臨民之官, 俱不以辭。況本非高蹈之士, 其所處義未免過重, 而終若此, 朝家事體, 因朴敏雄而虧矣。功當賞罰[罪]當罰, 事當從重警責, 而猶念者, 其向日爲國之誠, 姑先從重推考, 使之卽爲出謝。

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