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승정원일기 37책 (탈초본 687책) 영조 5년 6월 21일 갑오 4/32 기사 1729년  雍正(淸/世宗) 7년

    尹惠敎啓曰, 昨者伴送使狀啓三度, 一時來納, 故持者治罪之意稟達矣。捉致持者, 則元非自良策受來者, 乃京營站撥軍也。怪而問其曲折, 則以爲狀啓, 自撥站傳來, 而碧蹄撥軍, 持傳于黔巖站, 則黔巖撥將, 不肯逢授, 故還爲持傳於高陽郡, 則高陽郡守, 轉報于京畿監營, 營使渠持納, 故來呈云云。不可以渠言准信, 故招來京畿營吏, 問其曲折, 則所答一如撥軍之言。狀啓之旣到黔巖, 而倒傳于高陽, 已極可駭, 高陽郡守, 旣以文報, 送于營門, 則營門所當啓聞上送, 而只使一撥軍, 持納政院, 事極泛忽, 置撥遞傳, 何等緊重, 而如是疎漏, 後弊所關, 不可置之。京畿營司趙最壽推考, 黔巖站撥將, 令本道從重科罪, 狀啓遲滯竝傳之由, 令該司査問于各道諸站, 以爲嚴治懲後之地, 何如? 傳曰, 允。又啓曰, 掌苑署別提柳蓍相, 肅拜單子入啓之後, 謂有身病, 終不入來, 雖未知病狀輕重如何, 事極未安, 推考警責, 何如? 傳曰, 允。

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