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승정원일기 38책 (탈초본 697책) 영조 5년 11월 17일 정해 35/37 기사 1729년  雍正(淸/世宗) 7년

    ○ 江華留守鄭錫五疏曰, 伏以臣之所遭臺言, 實非尋常, 而聖明曲貸, 譴罰不加, 不得已冒陳危懇, 及承批旨, 乃以勿辭察任爲敎, 物情之不平於臣者, 轉有所激, 臣於此, 惶悶抑鬱, 罔知攸措。夫朝廷, 以事體而立綱, 士夫, 以廉隅而行已。上下胥失, 則必至於隳事體而乖廉隅, 其何以立綱而行己也? 今臣之所叨, 卽卿班也, 言者之所論, 卽譴黜也。譴黜之請, 至發於臺閣之上, 而臣若恬然晏然, 不爲動念, 耐彈蹲據, 略不爲恥, 則臣誠不肖, 不足比數, 而其於貽辱搢紳何哉, 其於廉隅事體, 又將何如耶? 臣之卽今情勢, 決無因仍盤礴之理, 而保鄣重地, 亦不可率爾徑離, 先送家眷, 席藁度日, 悚蹙之私, 已不可言, 而臣又有切迫之至情, 臣母本來衰病, 自遭慘戚, 旋歸京第, 益自傷毁, 宿恙有加, 居常懍懍, 而身縻職事, 相離已久, 日夕思想, 寤寐怵惕, 卽者家伻走到, 傳臣老母宿病之外, 添得寒感, 證情危劇, 促臣來視, 臣方寸煎灼, 不能自定, 急於歸護, 懷疏登途, 疾辭號籲, 其任情徑行之罪, 又加一層, 而俟譴之蹤, 斷無莅官次之路。伏乞聖慈, 諒臣至懇, 亟削臣職, 仍治臣罪, 以便公私, 千萬幸甚。傳曰, 原疏還給。

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