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승정원일기 41책 (탈초본 742책) 영조 8년 5월 1일 정사 22/24 기사 1732년  雍正(淸/世宗) 10년

    ○ 全羅監司李壽沆疏曰, 伏以臣, 才識俱蔑, 人器不稱。瘡疣迭出於奉職之際, 輕重輒失於做事之時, 馴致左右之譏斥, 轉至情勢之難安, 顧其由, 則罔非臣罪, 自反之不暇, 亦何尤於人乎? 然自附反省, 恬不知變, 則或近於拭唾牽掣事, 故畢竟苟冒, 則亦涉於患失, 此則臣固不忍爲也。臣之忝居藩任, 今已考績之年, 長短畢著, 巧拙莫逃。始則妄動於水旱之極備, 而朝廷之譏斥疊臻, 終則欲愼於郡獄之始査, 臺章之論劾且嚴。前後所遭, 俱甚悶蹙, 一味反躬, 亦且支離, 到今處義, 惟在鞶帶之褫。況臣向日之冒沒復出, 亦有定計于中者, 旣不能量力度分, 猥當是任, 而民事遑汲, 無異於兵燹, 則他不暇顧。惟賑政是力, 姑竢完了, 始乞恩遞, 亦一道理。故從他笑罵, 殫此心力, 徒憑朝家之區畫, 僅勉一路之分賑, 非敢曰, 奉承無罪, 揭厲適宜。顧今麥秋已屆, 賙政垂畢, 已放之廉隅, 始可以伸矣。固定之初計, 亦可以行矣。且狗馬之疾, 日以危劇, 牢閉衙門, 另加調治, 而藥餌罔效, 敗症疊出, 夢語囈吟, 只是歸死松楸, 間召神氣, 復入哀鳴。伏乞聖明, 諒臣情勢病勢, 卽賜遞罷, 一縷未絶之前, 俾得返稅於先壟之下, 千萬顒祝。臣無任云云。答曰, 省疏具悉。藩任體重, 此時道臣, 決難遞焉。卿其勿辭察任。

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