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승정원일기 41책 (탈초본 742책) 영조 8년 5월 6일 임술 37/42 기사 1732년  雍正(淸/世宗) 10년

    ○ 司諫韓德厚上疏。伏以臣, 處義情地, 有不容更入臺地者, 始欲一謝恩命, 退塡丘壑, 冒沒出脚, 麤伸微忱, 而因仍盤礴, 挨到數朔, 乍出乍入, 當退不退, 亦未嘗發一言論一事, 以少效職責, 徒持祿保位, 呼唱道路, 以赴一時之榮耀而已, 心常愧懼, 若隕淵谷。又自近日, 見傷風寒, 咳嗽膈懣頭疼等症, 迭發交作, 痰眩宿病, 又復乘時苦㞃, 只此病勢, 實難自力, 日昨違召, 亦出萬不獲已。庶冀例蒙勘罷, 安意調息, 不料恩出格外, 罰止問備, 到此地頭, 進退窮蹙, 縮伏私次, 鎭日投單, 喉司之臣, 全不相諒, 惟事阻搪, 使苦衷血懇, 無以得徹於仁覆之天, 言責重地, 作一養病之場, 國體私義, 交相壞傷, 臣誠狼狽抑塞, 轉動無地。此際見差敬徽殿節祭執事, 分義爲重, 不敢言病, 强策趨參, 一倍添劇, 及至罷歸, 昏倒不省, 雖非朝夕危急, 亦不可以旬日起動。玆敢仰暴實狀, 畢瀝危悃, 伏乞聖慈, 特賜諒察, 亟許鐫遞, 俾得及時調治, 使一物之微, 亦被天地生成之澤, 不勝至願。抑臣尸素久矣。將退而又無一言, 則其罪益大, 玆庸略附疏末, 惟聖明財幸焉。人臣事君之道, 貴在誠實。日昨副校理黃晸, 徑出陳疏, 而乃以沒緊要之語, 尾陳得徹。夫臺官署經, 動淹十朔, 固宜可言, 而前旣譴罷數十多臺, 今又竝遞兩司諸臣, 則國體處分, 果將何如哉? 況今在外之人, 或有路文之已到者, 或有辭疏之上來者, 而今不問其動靜, 倂請變通, 不亦輕遽之甚者乎? 今雖遞改, 未必朝拜夕出, 又或在外如今日, 則其將隨而輒改乎? 亦豈不知此等事理, 而急於呈疏, 强附所懷, 其不誠, 甚矣, 臣竊惜之也。噫, 戊申逆賊, 往牒所無, 論其情節, 雖用皇明九族之律, 亦無所惜, 而惟我聖上, 至仁至德, 務恢法綱, 以安反側, 雖其族黨姻親之干連甚緊者, 靡不含匿收錄, 無少罥碌。此或不害爲盛德事, 若其當之者, 則廉隅處義, 宜不敢自曰無故, 而黃海監司尹容, 以賊之至親, 賊方在鞫獄, 嚴問之啓, 日謄於臺簡, 之往莅外邑, 已非人理之所安。況擁節旄佩符印, 揚冒赴於一道按宣之任, 略無怵惕惶蹙之意, 王導之泥首請罪, 固不足責之於此人, 而其放肆無忌則極矣, 一世公議, 莫不爲駭, 謂宜特施譴罰, 以勵世道也。靈巖郡守吳命厚, 本以全羅監司李壽沆之私客, 作妾壽沆之婢, 留在壽沆之家, 夤緣借噓, 濫竿騎省, 及至本郡之作窠也, 圖得壽沆之自辟, 賭占湖南之名郡, 除目之下, 物議固已嗤點, 到任以後, 政令不成貌樣。家在道內不遠之地, 稱以一家喪賻, 駄載絡續, 且以錢貨, 餽遺其私昵, 傳說浪藉, 當此凶歲設賑之時, 如此之人, 決不可仍置。且道臣之自辟守宰, 間或有之, 而其在事例, 終未妥當, 而況壽沆, 則專以私好, 不問人器, 不恤公議, 辟其家客, 畀以管下之饒邑, 致有人言, 不可無責罰之道。靈巖郡守吳命厚, 宜罷其職, 全羅監司李壽沆, 亦宜從重推考焉。臣無任屛營祈懇之至。答曰, 省疏具悉。頃者黃晸之疏末事, 予亦知其過重矣。噫, 戊申之逆, 亘古所無, 而脅從罔治, 古訓所在, 況尤予意, 犯其惡逆者, 不可不痛治, 王者治世之道, 自有其本, 釀成戊申, 非他也, 時象也。時象不祛, 雖日誅惡逆, 弊源難遏也。其本時象, 族何預焉? 且若治其族, 當治其分門割戶, 戈戟相尋之類, 何治其曖昧不干涉之族屬乎? 其時帳殿下敎, 爾豈不聞知? 居臺已久, 傳啓入侍, 亦已多日, 果使尹容, 預謀事, 當擧法論啓, 思之多日, 不耐伎倆, 尋得尹容, 敢售舊日之習, 噫, 時象雖重, 不若君父乎? 況聞頃者下敎, 爲今日食予祿者, 決不爲此。噫, 心旣不公, 何再釋於被斥之人, 而患得患失, 貪也, 無所不至, 欲也。淸白如故判書尹趾仁, 乃父其子, 之爲人, 質實廉如, 何不[所]貪何所欲, 染於事乎? 旣無其染, 於何嫌? 其後處義, 朝家所知。況之爲人, 雖輕薄, 染於有翼之輩, 事無端緖, 旣參酌不正法, 族何論焉? 此等之態, 決不售於今日矣。當不賜批, 而不可置人於暗昧, 此等之習, 不可不破綻故也。疏末事, 論人決不若是, 良可異也, 良可駭也。

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