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승정원일기 41책 (탈초본 750책) 영조 8년 10월 8일 임술 17/21 기사 1732년  雍正(淸/世宗) 10년

    ○ 校理李潝疏曰, 伏以臣, 性本隘塞, 迷不知方, 徒以區區廉義, 前後違傲嚴命者, 非止一再, 尋(尋)常跼蹙抑塞, 自知其擢髮難贖矣。日者批旨及嚴敎, 辭旨切峻, 有非臣子所敢聞者, 臣奉讀以來, 髮豎骨靑, 四肢投地, 靡所容措, 臣雖至愚, 豈不知分義之至嚴且重, 而第念臣與付籤儒臣, 初旣同議, 與之往復, 則進退榮辱, 義無獨殊, 而一則尙在罰籍, 一則翺翔榮塗, 揆諸廉隅, 萬無此理, 故不得不坐違召牌, 而其所罪犯, 雖萬戮猶輕矣。不意聖度包荒, 斥補而未及登程, 旋蒙收還, 就囚而未及納供, 又蒙放釋, 天高地厚, 始覺生成之德, 春生秋殺, 無非敎化之意, 臣追愆訟罪, 繼之以感涕被面, 卽已承牌, 入肅天陛, 粗伸區區之微忱, 而若其仍因盤礴, 實是廉義之所不敢出。且於屢日凍狴, 觸傷不細, 宿患痰厥之症, 一倍添劇, 滿身寒栗, 頭疼似碎, 若不可一刻支持, 如不及時調治, 則將有難言之憂, 不得不控籲至懇, 臣罪至此, 尤無所逃。伏乞聖明, 府諒如許情病, 亟許鐫削臣職名, 俾得安意調將, 以尋生路, 不勝萬幸。臣無任屛營祈懇之至, 謹昧死以聞。答曰, 原疏出給

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