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승정원일기 41책 (탈초본 750책) 영조 8년 10월 18일 임신 21/22 기사 1732년  雍正(淸/世宗) 10년

    ○ 校理李潝疏曰, 伏以臣, 前日徑出, 蓋有實狀之不得不然者, 臣素抱痰厥之病, 添重於屢日凍陛之餘, 症樣苦劇, 頃刻難支, 誠不無死生之慮, 而蒙宥之後, 召牌押至, 分義所在, 不敢復事違傲, 扶曳病軀, 僅僅入肅, 仍卽陳章請由, 以爲急時調治之計, 此實私情之萬分不獲已, 而其時病狀之難强, 喉司諸臣, 所目見者也。祗緣臣平日誠信, 不能見孚於君父, 情實未暴, 威怒反加, 有若臣專昧分義, 故爲托病者然, 臣於此, 卽欲鑽地而入, 而有不可得者, 況於玉候靜攝之中, 乃以區區去就, 未免瀆撓, 臣誠惶懍萬萬, 自分擢髮難贖矣。不意聖度天大, 曲加容貸, 不待該府之勘處, 遽下特宥之恩命, 臣感祝聖恩, 糜粉難酬, 召牌之下, 卽爲祗肅, 而第臣於別兼新命, 有不敢晏然承當者。臣曾於丁未間, 猥隨諸僚, 與聞薦事矣, 其後主薦之人, 以僨誤爲言, 不應己酉別兼之命, 臣亦不宜異同, 力辭別兼, 一再陳疏, 至於置對, 而終不敢冒出, 則今所引義, 固自如也, 其可以時月之已久, 謂無可嫌, 冒昧出而當之乎? 臣委倒直廬, 病與死隣, 精神昏憒, 不省人事, 而惟念所被之命, 終有所不可堪承者, 玆敢悉暴事實, 伏乞聖明, 亟賜照察, 遞臣別兼之任, 專責無故可當之人, 使莫重史薦, 速得完了, 不勝幸甚云云。答曰, 省疏具悉。其所引嫌, 極涉太過, 爾其勿辭, 從速應命。

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