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승정원일기 41책 (탈초본 754책) 영조 9년 1월 1일 계미 15/15 기사 1733년  雍正(淸/世宗) 11년

    ○ 全羅監司柳儼疏曰, 伏以臣, 以一事, 前後凡三被人言, 六入辭本, 有必遞之義, 無仍冒之勢, 而每承靳許之批, 未聞變通之議。臣於是, 不勝抑鬱悶蹙之至, 噫, 身爲藩任, 首先犯禁, 罪不可赦也。先朝典章, 至爲嚴明, 法不可屈也。然而終始曲恕, 未有處分, 因仍蹲據, 不思自處, 臣固有失, 朝廷擧措, 亦未爲得當, 今則情窮矣, 勢蹙矣。決不可如前抗顔, 上而不畏邦法, 下而自喪廉恥, 惟以被譴獲遞爲期, 在聖朝, 立紀綱重禮使之道, 亦不宜一例羈縻拘束矣。生民之飢困, 臣非不念, 遞易之有弊, 亦非不念而到此地頭, 終若以此爲諉, 晏然不動, 則是誠鄙俚無恥, 放肆無忌之人, 使斯人, 按一道之重, 濟飢民之急, 朝廷之紕繆, 又莫此若也。聖上, 如以一道之生民爲念, 急速遞臣, 代送可堪之人然後, 方可以免道務之大段緯繣, 民事之大段狼狽, 朝廷之上, 曾不以此爲念, 未有建白變通之擧, 臣尤爲之慨歎也。至於殿最之重, 而不得趁時擧行賙賑之急, 而又不得隨事料理, 閉衙縮伏, 百事乖錯, 公私之憂, 一日爲急, 玆不得不更瀝肝血, 仰瀆宸嚴, 伏乞先遞臣職, 仍治臣罪, 無使私意牽制, 邦典乖墮, 千萬懇禱, 臣無任云云。

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