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승정원일기 41책 (탈초본 755책) 영조 9년 1월 23일 을사 27/34 기사 1733년  雍正(淸/世宗) 11년

흉년이 심하니, 燔造 匠人과 立役 募民을 구휼토록 分付할 것을 청하는 司饔院의 草記

    趙明翼, 以司饔院官員, 以提調意啓曰, 燔造所諸般匠人及立役募民等, 以戶則累百, 以口則千餘, 始自二月, 及至初冬, 長立燔所, 無他農業行商之事, 其所仰賴而資生者, 只是奉足布二疋·柴場穀一石。故若値凶歉, 則飢餒死亡之患, 比凡民尤酷矣。曾前凶歲, 輒自賑廳, 有發賣還上題給之例, 考諸謄錄, 則戊寅年大小米竝一百三十七石, 丁酉辛丑兩年小米各一百石, 以發賣題給, 上年又爲小米一百石, 以還上題給, 救活燔民, 得免進上闕供之患。而今年凶荒, 有甚於上年, 匠布災減之數, 至於過半, 柴場戶米, 每戶五升, 權減之數, 亦至於八十三石零。因此而匠人料布, 不得依數上下, 冤苦實甚, 戶米權減之代, 所當某條劃給, 而自本院, 無他變通之路, 發賣還上, 則明有前例, 依此題給, 而災減之代, 又以穀物, 卽速磨鍊上下, 救活燔民, 俾無莫重燔役狼狽之患事, 分付賑廳, 何如? 傳曰, 允。

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