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승정원일기 42책 (탈초본 756책) 영조 9년 2월 4일 병진 20/23 기사 1733년  雍正(淸/世宗) 11년

사직을 청하는 左議政 徐命均의 箚子

    ○ 左議政徐命均箚子曰, 伏以臣伏聞日昨筵中, 諫官以江留薦望事, 攻斥廟堂頗深, 是近來臺閣上所未有之事也。臣固奬詡愧服之不暇, 而其惶蹙難冒之狀則較然矣。廟堂之責, 用人爲重, 保障之任, 惟才是急。李眞淳剛明有才望, 郡藩輒著聲績, 卽衆所共推, 而特差備堂, 累入剡薦, 廟議亦可見矣。諸宰多言其可合, 前此未經銓官而除拜者, 亦多其例。故臣果不拘姻嫌, 隨窠備擬, 出於擇人之意, 而今以資望爲言者, 實非臣始慮所及也。臣獨當重任, 釁疵百出, 不量時勢, 薦擬謬誤, 論其辜犯, 合被重譴。伏乞聖明, 亟賜罷斥, 以謝臺議。且念堂錄之至今遷就, 實關國體, 臣常憂慨, 日待首席之趨朝, 今已行公, 不日擧行, 而伏聞有待臣病差之命, 然則完錄, 尤無其期矣。豈非大可悶慮者乎? 臣之卽今病情, 輾轉沈痼, 束帶赴公, 姑無其望。才遭孀女夭慼, 情理慘切, 症狀自然添劇, 亦有制限, 決難遲待。自前旣有首席, 則不以僚員病故, 有所拘礙, 深願聖上, 特念堂錄之不容一日少緩, 命卽開坐完圈, 以幸國事。今日藥院問安, 旣不得進參, 眞殿擧動, 又隔數日, 而床玆危喘, 將無以自力陪扈, 情禮虧缺, 事體傷損, 臣益不勝惶恐俟罪之至。取進止。答曰, 省箚具悉卿懇。所患若此, 深用慮念。以疾未參, 其何所傷? 箚中引嫌, 元非大段, 於卿有何毫分不安。卿其安心勿辭, 其須益加善攝, 都堂錄, 依箚請卽爲擧行焉。仍傳曰, 遣史官傳諭, 遣御醫看病。

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