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승정원일기 42책 (탈초본 767책) 영조 9년 10월 5일 계축 25/28 기사 1733년  雍正(淸/世宗) 11년

    ○ 應敎趙明澤疏曰, 伏以臣於日昨, 以母病之添劇, 冒控私懇, 獲蒙恩暇, 幸得及時救護, 專意藥餌, 聖恩至深, 河海莫量, 母子相對, 感泣洪私, 而第篤老之年, 沈痼之疾, 有非一時醫治, 所可責效, 委頓已久, 眞元日脫, 危兆敗症, 疊見層出, 晝夜苦痛, 頻頻昏絶, 奄奄床席, 實有頃刻難支之慮。臣夙宵扶將, 焦遑罔措中, 由限已過, 嚴召復降, 而目今情理, 斷無蹔時違離之勢, 故玆不得不隨詣闕外, 拜章徑歸, 臣又死罪, 如使臣之情勢, 少有一分供職之望, 則當此聖體受灸, 鎭日問候之時, 豈敢瀆撓祈免之計哉? 情旣迫急, 更申疾痛之籲。伏乞聖慈, 諒臣至懇, 亟許鐫遞, 俾得終始救〈護〉, 以伸至情焉。臣治疏將上之際, 伏聞昨者大臣登對時, 以近來陞學臨急設行之有弊, 有所陳達, 而其所指意, 不專在於矯弊, 筵席語秘, 雖未得其詳, 臣於是, 竊不勝惶懍悚惕之至。以臣無似, 忝叨兼官之任, 迫於嚴命, 再當課次, 而文旣短拙, 又蔑鑑識, 則其失人才而招人譏, 在所難免, 其何敢以不爲顯臣名, 有所自恕, 而抗顔仍冒於職次乎? 亦願聖明, 俯垂鑑燭, 先削臣本兼之任, 仍治臣溺職之罪, 以嚴邦憲, 不勝幸甚, 謹昧死以聞, 答曰, 省疏具悉, 玆事不必引嫌, 爾其勿辭, 從速察職。

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