○ 判中樞府事李宜顯箚子, 伏以臣病淹床席, 垂及一年, 瞻望宸極, 只有耿結。向者入侍之敎, 聖眷隆厚, 有以仰揣, 感悚隕越, 不知所喩, 而危綴之甚, 終無以自力奉承。至於前後起居之禮, 一倂廢闕, 辜恩蔑義, 罪合萬死, 席藁俟譴, 冞增惶悚。且臣竊有私情之萬分悲切者。臣父葬地, 在畿內之楊州, 地形單露, 不成局勢, 業堪輿者, 擧皆訾毁, 以爲地中, 必有大段災害。山家之說, 雖不足準信, 衆口之齊騰如此, 亦何能一刻晏然? 今幸得僅可之岡於距前葬十里地, 將於此月內遷改, 臣當前期下往, 而病狀一向沈篤, 有難起發, 誠甚悶迫。然病瘳旣無其期, 吉年, 又將蹉失, 則恐爲含恨不瞑之鬼。玆欲不計顚仆, 寸寸作行, 庶冀趁此一息之存, 成得此事, 其情良亦戚矣。區區衷懇, 不敢不歷擧哀籲於孝理之下。伏乞聖明, 先治臣闕禮之罪, 仍令隨便往來, 完襄大事, 以伸人子至情, 恩威竝得, 不勝祈祝。答曰, 省箚具悉卿懇。有疾未參, 其何所傷? 箚末所請, 依施。卿其安心勿辭, 亦勿引咎焉。仍傳曰, 遣史官傳諭, 給由馬·澆奠床備給。