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승정원일기 44책 (탈초본 795책) 영조 11년 2월 19일 경신 30/30 기사 1735년  雍正(淸/世宗) 13년

    ○ 修撰金相奭疏曰, 伏以皇天默佑, 祖宗陰騭, 惟我元嗣, 誕降於擧國顒望之餘, 三宗之血脈, 得以綿延, 八域之民心, 有所維係, 使三百年宗社, 旣危而復安, 雖在婦儒[婦孺]下賤, 亦知爲邦國之大慶, 而懽忭頌祝, 欣欣相告曰, 億萬載之休, 自今伊始, 則況臣本以世祿之裔, 忝在法從之列, 愛君憂國之心, 自倍凡民。粵自戊申以後, 尋常仰屋, 中夜遶壁, 有時心語於口曰, 願得少須臾毋死, 獲覩我聖上螽斯之慶矣。忽聞此報於里閭之相傳, 不覺蹶然而起立, 殆乎手舞而足蹈, 不啻宋儒不寐之喜, 漢民延頸之誠而已。而只緣屛蟄窮鄕, 承聞後時, 未得趁參於大庭呼嵩之列, 雖是事勢之固然, 而若其忱誠之耿耿, 爲何如哉? 況又積痼濱死之疾, 末由自力登程, 追伸忭賀之節, 亦且後人, 有臣如此, 生不如死。今始擔舁病軀, 寸寸上來, 而中路得接邸報, 則以臣去就, 致勤嚴敎, 臣於是惶懍震駭, 益無所措。臣之本來踪地, 其於金華一步, 鐵限在前, 進退一節, 都無可論, 而旣叨恩除, 猥承召旨, 則偃息在鄕, 累朔虛帶, 是豈臣分之所敢出耶? 昨冬縣道呼籲, 實出於情危病篤, 萬不獲已, 而瀝血之懇, 未蒙鑑諒, 難冒之職, 一向絆縻, 終至於罪上添罪, 轉益危蹙, 臣之許多情勢, 雖不敢每每煩瀆, 而付籤之罰, 便同刊汰, 三司之職, 處義自別。臣雖甚無志節, 尙有一段廉隅, 其何敢冒沒徑進, 抗顔邇列, 壞盡一己之大防, 重招淸朝之譏議也哉? 玆憑貢賀之章, 略伸難進之義, 伏乞聖慈, 俯賜矜諒, 特許鐫遞, 使朝綱小肅, 微分粗安, 千萬至幸。答曰, 省疏具悉。爾其勿辭, 從速察職。

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