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승정원일기 44책 (탈초본 798책) 영조 11년 4월 23일 계해 22/22 기사 1735년  雍正(淸/世宗) 13년

徐宗玉을 全羅道觀察使에 제수하며 내린 諭書

    ○ 諭全羅道觀察使徐宗玉書, 王若曰, 予惟旬宣之責, 不止乎簿書, 彈壓之威, 兼資乎地望, 肆予南顧, 煩卿一行, 惟卿, 識慮周詳, 儀度遒俊。早襲訓於賢父, 譽著克家, 逮發軔於名塗, 才合需世。不露芒角而自有操持之堅凝, 默中機宜而恥爲辭氣之夸厲。故前後知眷之特異, 而內外試用而皆當。講幄橫經, 蔚然啓沃之效, 海藩持節, 慨然澄淸之治。往者東郡之除, 蓋欲鎭其時象, 迨玆西省之除, 尤可見乎予心。朝望方隆, 詎復勞於原隰, 時艱惟棘, 不遑顧於重輕。蓋此丙枕之靡安, 惟以南事而爲念。田良産侈, 舊稱殷富之方, 歲儉民飢, 今作周餘之慘。絲麻粟米之賦, 多賴於玆邦, 痼瘵瘡痍之形, 倍劇於諸道。蕭然若兵燹之後, 孰能奠袵席之間。旣迪簡於予衷, 又允諧於僉擧。玆受卿以全羅道觀察使兼兵馬水軍節度使巡察使全州府尹, 卿其追先卿保釐之跡, 體今日勖勵之辭, 惟平易愷悌之治。遺芬未沬, 若廉潔簡約之操, 前範斯存, 是在往欽, 毋庸更勉。然而非剛毅則吏或慢弛, 非振肅則事或因循。威貪墨以柱後惠文, 毋或懷造謗之忌, 撫惸獨以慈母赤子, 毋苟避干譽之嫌。事巨細惟在一誠, 奚取流俗之誑耀? 治本末雖貴兩擧, 必先大體之摠持。其餘稟裁, 厥有典憲。於戲, 荊門鎖鑰, 應繼陸氏之家聲, 蜀戶歌謠, 佇誦韋帥之世德。式繩先武, 以卒令譽, 故玆敎示, 想宜知悉。知製敎鄭羽良製進 

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