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승정원일기 44책 (탈초본 802책) 영조 11년 6월 1일 기사 12/17 기사 1735년  雍正(淸/世宗) 13년

    ○ 判尹宋寅明疏曰, 伏以臣向冒匪據, 自速顚沛, 始嘗左右彌綸, 亶出苦心, 而乃反不免於生事僚席之歸, 終又引義辭巽, 稍存廉愧, 而輒復自陷於無端違傲之科。論其罪犯, 合被重辟, 而聖度涵貸, 罰止勘罷, 臣誠以罪爲榮, 且惶且感。惟其負罪之蹤, 不敢處在京輦, 卽日出郊, 望門投跡, 靜裏自訟, 益切愧懼, 不意罪罷未久, 恩敍特降。敦府·京兆·藝苑·籌司除旨稠疊。湔拂如舊, 仍又有令政院, 催促上來之敎, 臣於此惝怳震驚, 感極而涕, 殆不知所以自措。噫, 孤負委寄, 臣自知罪, 一時薄勘, 非可自贖。今於恩命之下, 誠有不敢冒進者, 而洗滌收召, 聖恩愈隆, 感激趨承, 少伸叩謝。亦是臣分之所不可已者, 較量二者, 宜知所處, 而第臣奔走供劇, 殆近十年。當其勞攘之際, 誠不自知其痛痒, 而及今歸伏村廬, 處靜多日, 肢體稍逸, 百病交侵, 痰注而腰脅牽痛, 氣逆而頭目眩暈, 胃氣先敗, 飮啖全却, 客邪易乘, 寒熱頻作, 種種諸症, 已係難醫。且自數日以來, 又患癨氣, 胸膈否塞, 吐下不得, 委身床席, 宛轉叫苦。使臣調將時月, 稍得蘇完, 則雖非朝家催督之擧, 豈敢不歸身京闕, 以聽進退? 而見今病情, 實難起動, 趨命供職, 非所可論, 自力入城, 亦無其路。違逋明旨, 罪又萬死, 見帶諸任, 俱係緊重, 決不宜容臣虛縻於在郊淹病之中。伏乞聖慈, 俯垂矜察, 將臣本兼諸職, 竝許遞改, 以幸公私, 不勝至祝, 臣無任云云。答曰, 省疏具悉。往事何嫌? 卿其勿辭, 從速上來察職。

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