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승정원일기 44책 (탈초본 802책) 영조 11년 6월 1일 기사 14/17 기사 1735년  雍正(淸/世宗) 13년

    ○ 左參贊李眞望疏曰, 伏以臣於前月, 入侍講筵, 伏承聖敎, 令臣姑待, 詩經第七冊始講之日, 更侍講席而後退去, 恩言鄭重, 德意隆摯。臣誠感激銘鏤, 不敢復有所煩達, 泯默退伏, 只俟開筵之日, 于今三旬有餘矣。適因講官不備, 法筵尙今中撤, 而其間積雨蒸暑, 臣之病狀, 日以添苦, 誠有生行死歸之憂, 而不敢徑自退還。今則抄夏[初夏]已屆, 伏日在明, 講筵之遵例頉稟, 當自今始, 而臣之病情, 尤有不堪一日仍留者, 玆不得不擔舁作行, 爲歸死故壑之計, 回瞻禁扃, 悵戀交結, 辜負恩諭, 罪戾增重。且伏念臣以田里病伏之蹤, 抱老朽危死之疾, 名在朝籍, 職號勸講, 旣不能一日供職, 少塞委責之盛意, 徒煩陳列賤病, 以益逋慢之重誅, 國體朝綱, 緣臣而益壞, 具僚庶工, 視臣而益懈, 臣罪到此, 益無所逃。伏乞聖明, 俯察情懇, 顧念事體, 先削臣遙帶經筵之任, 竝將政府佐貳之銜, 苑署提擧之職, 盡行蠲免。仍命有司亟加譴罰, 庶使私分獲安, 王綱稍振, 不勝幸甚, 臣無任云云。答曰, 省疏具悉。頃於法講, 面諭卿者, 伊後因玉署之不備, 迄未開講。初伏在明, 停筵之期又値, 頃日挽留, 今歸文具, 不覺歉然, 請歸之章又上, 心亦缺然。前後勸勉于卿者, 不過講學, 今則開筵未易, 無可更勉者, 而數月勉留, 豈可自外尋鄕耶? 明日召對時, 同爲入侍, 則亦有諭者, 卿須體焉。

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