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승정원일기 46책 (탈초본 838책) 영조 12년 12월 1일 경신 19/23 기사 1736년  乾隆(淸/高宗) 1년

    ○ 領敦寧魚有龜疏曰, 伏以臣之所帶將任, 卽一國兵權之最重者也。蓋自設置以後, 必畀武臣, 以責其統率訓習者, 法意有在, 而臣於去年春, 承乏苟差, 猥膺是任, 不但臣自知其必不可堪, 朝議亦莫不爲臣憂之。三疏瀝懇, 必遞爲期, 而末梢批敎, 迥出常格, 諭以感懷, 勉以姑察, 謂有他日, 指示前期, 臣感悚迫隘, 計無所出, 意謂耐度時日, 或幸無罪, 而纔過七八箇月, 釁尤百出。玆於前冬, 又復連章呼籲, 畢暴衷私, 而忱誠未格, 誨諭輒下, 至以而後陳懇, 亦何晩等意, 開示丁寧, 臣處地有別, 不敢任情冒瀆, 執守不固, 又不能抵死力避, 仍因蹲據, 如坐針氈。荏苒之間, 垂及二載, 昏惰日劇, 病敗疊生, 種種弊疵, 有難歷數, 日夜顒祝, 惟處分是俟, 而天心邈然, 訖無變通, 臣若只冀聖慈哀憐, 更不竭誠祈叩, 則重任之解卸無期, 軍國之受害無極, 豈不大可悶迫? 噫, 臣之衰落朽殘, 已無餘地, 而特其形殼, 僅存耳。有時登筵之際, 聖鑑俯臨, 或意其猶可驅策支撑, 而最是病在耳目, 聾暗忒甚。神精消亡, 左右遺忘, 尋常簿書, 猶未照檢, 則其重且緊者之一倂廢閣, 可推而知, 戎務益隳, 軍情益懈, 憒憒紊亂, 莫可收拾。萬一國家有事, 無以得力, 則當其時, 臣雖萬被誅殛, 顧何以贖其罪哉? 思之至此, 不覺懍然心寒, 玆敢披瀝肝血, 仰申哀鳴。伏乞聖明, 回思前日之明旨, 俯察癃病之難强, 亟命遞臣訓局將任, 以幸公私。答曰, 省疏具悉卿懇。卿辭雖若此, 莫重將任, 豈可輕遞? 卿須安心, 勿辭察任。仍傳曰, 遣史官傳諭。

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