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승정원일기 46책 (탈초본 846책) 영조 13년 4월 1일 기미 27/31 기사 1737년  乾隆(淸/高宗) 2년

    眞明曰, 都目大政之遷延, 事甚未安, 褒貶講坐, 皆已擧行。將以初四日, 定行都政, 而親祭肄儀, 乃在初五日, 而本曹堂上, 亦差執事, 似有苟艱之慮矣。上曰, 都政罷後, 當擧行肄儀乎? 取魯曰, 罷政後可以擧行, 而似未免苟艱矣。上曰, 都政, 有一日內擧行之規乎? 若有前例, 則不必兩日爲之, 一日內爲之, 似無妨矣。取魯曰, 先朝庚申年, 有一日內擧行之規矣。上曰, 肄儀事體至重, 雖一日內, 日勢若不暮, 則擧行宜矣。每欲申飭而未果矣。曾見先朝, 必明燭而待之矣。今則開政不早, 此亦紀綱所關矣。眞明曰, 以守令之移擬他邑事, 曾有申飭之敎, 而每當牧宰蔭官之當次者, 甚苟艱, 故每拘政格, 不得已以守令移擬, 不勝惶恐矣。取魯曰, 雖守令若在任, 年久則移遷亦不妨。守令之移擬者, 懸朔, 似好矣。上曰, 懸朔則似好, 而卽今民事最重, 生民休戚, 在於守令, 則朝家用人之道, 惟當爲官擇人, 何可爲人擇官乎? 自京職, 移拜守令, 而自本司仍任者, 頃日有所申飭矣。近日又有此等草記, 自廟堂何不申飭乎? 在魯曰, 此乃戶曹正郞鄭錫範仍任事, 而臣等泛看矣。未見草記, 未知有何委折, 而申飭之下, 有此草記, 致煩聖敎。戶曹判書金東弼, 推考, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 

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