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승정원일기 46책 (탈초본 848책) 영조 13년 5월 1일 무자 20/22 기사 1737년  乾隆(淸/高宗) 2년

    ○ 平安監司尹淳上疏。伏以臣, 廢屛丘壑, 舊釁新案, 不比人數, 迺於千萬意外, 忽有西藩特除之命。職任雖重, 授以外補, 則情地廉隅, 有不敢言, 惶恐承命, 已有日矣。且伏聞昨日筵中, 有催促之敎, 在臣分義, 固當登時辭去, 而目下情理, 實有萬萬不自抑者, 不計僭猥, 冒瀆嚴威, 死罪死罪。臣兄兵曹判書臣, 以通身浮腫, 病勢萬分危篤, 已浹兩月, 種種症形, 俱係難治, 乍間復甚, 轉落數層, 澟澟然朝夕不可保。臣晝夜扶救, 方寸焦盡, 況臣無他兄弟, 又無强近之親, 醫藥看護, 惟臣孑然一身。此際分離, 不惟人理之所不忍, 病人心弱, 語及行事, 輒握手相視長欷, 旣去之後, 其傷缺添病, 尤當如何? 思之及此, 如梗在嗌。藩臣赴任, 例許五十日治行, 而如臣罪補, 敢援此例, 第聞西營修簿, 非一朔可了。臣之除命, 猶未滿三十日, 勅奇姑且無聲, 藉令不日牌來, 營閫前任, 自當推移馳赴, 有不暇遲待臣交龜。若然則本道事, 似無時急之慮, 而臣之情境, 又如是煎迫罔措, 儻蒙慈天矜惻, 姑寬旬日之限, 看守兄病, 如得一分生道, 便當卽日就途, 區區情私, 涕泣以陳。伏乞天地父母, 俯垂體下之仁恩, 許臣少留, 俾伸同氣之至情, 不勝千萬大願, 臣無任云云。答曰, 省疏具悉。所陳若此, 俟其少間下往焉。

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