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승정원일기 48책 (탈초본 884책) 영조 15년 1월 25일 임신 37/38 기사 1739년  乾隆(淸/高宗) 4년

領議政 李光佐의 箚子

    ○ 領議政李光佐箚曰, 伏以臣, 病勢彌留, 苦劇昨夕, 固無運動赴闕之望。而乃伏蒙聖恩如天, 特降勿入之命, 初旣命之調理, 今又曲軫至此, 觸處感泣銘鏤, 實不知所上報也。雖然, 臣當進而不得進, 固罪也。況今諸大臣不病人少, 差祭苟簡, 而臣以時任首相應差之人, 竟不得塡充於實差。臣罪合被大何, 病裏惶懍, 無所自容, 只竢威命之降矣。僚相自訟之章, 至三而四, 固已過矣。聖上所以開曉慰譬, 誠亦切至, 而尙不思改圖, 尤爲太過。大享之不得備官, 誠極未安, 益加敦勸, 及此時勉出, 俾享官備員, 廟務亦不至委滯, 幸甚。臣有所懷, 欲入對陳稟, 而末由自力, 玆用附陳。國家於陵幸時, 挾輦之士, 增用二百, 雖至近之處, 未夕還宮, 未嘗不如此。至於郊壇經宿之幸, 事體豈下於近陵之幸? 而挾輦獨用八十, 良爲未安。自今行幸, 凡出城而經宿, 則挾輦必用二百之例, 似合事宜。如賜允可, 特降明旨, 俾定式而施行焉。取進止。答曰, 省箚具悉卿懇。所陳者依施, 留意而曾已諭, 卿須安心焉。仍傳曰, 遣史官傳諭。

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