○ 三月二十六日酉時, 上御熙政堂。祔廟都監提調兪拓基請對, 同副承旨李亮臣, 假注書尹龜相, 記事官康侃·沈益聖入侍。拓基曰, 臣奉審爲善堂, 則一邊廳·一邊房, 大廳居其中, 當於大廳奉安乎? 上曰, 奉安于大廳然後, 靑紅蓋可張也。兪拓基曰, 大廳有御題懸板, 其可仍存乎? 上曰, 奉安時, 當謹撤矣。上曰, 今見該曹草記, 洗去上二字及下氏字, 氏字改書以妃字, 爲宜云, 今當問于大臣, 而戶判及承宣之意, 更何如? 兪拓基曰, 改書之敎, 聖意所存, 臣豈敢不知也? 但事體至重, 終是未安。上問于承旨曰, 戶判所達, 何如? 李亮臣曰, 臣則終未知恰好道理矣。上曰, 祝文頭辭, 旣已定矣, 奉安之日, 亦行展謁, 奉安之奠, 其爲親行, 允協神理人情, 分付儀曹擧行。今在大享誓戒中, 依酌獻禮, 只行淸齋一日, 亦依此擧行。上曰, 上諡前稱嗣王, 旣戊寅特敎, 今當遵奉此敎, 而該曹草記中, 今番嗣王二字, 卽是不察, 王后祝文, 例稱國王, 而不祧之位, 則亦稱孝曾孫三字。此是不祧之位, 祔廟之前, 祝文頭辭, 當稱孝曾孫, 國王某妃之稱, 更以思之, 於禮不然, 敬考祝式。宣廟以上, 王后祝辭, 皆稱祖妃, 今亦以祖妃某氏, 當爲書塡, 依此擧行事, 分付。上曰, 旣復位之後, 主面上字, 不可不洗去。無間於旁題, 且不爲洗去, 奉於闕中, 情禮不然。予意則其勿竝爲更題, 洗上二字, 而又洗氏字後, 氏字書處, 更書妃字, 允合情禮, 故其欲問議于大臣矣, 今聞戶判所達, 洗而又書, 極涉持難。莫重莫大之事, 不可不問, 何以則果合於禮乎? 卽問于大臣, 稟處。上命香室官金德麟, 奉祝文儀式來待。上曰, 予見祝式前例, 則今番祝文頭辭, 當以國王臣書之矣。上曰, 祝文頭辭, 主面書寫, 有下敎者, 草記批答置之事, 分付。香室入直官金德麟曰, 諸祀雜祀, 兩儀軌冊假衣, 今已傷毁, 事當修改, 敢此仰達。提調兪拓基曰, 玆事, 自香室, 通于政院, 政院捧勘[捧勘]後, 分付該曹, 使之備納, 爲宜, 而直稟筵中, 殊涉瑣屑, 金德麟似當推考警責矣。上曰, 雖似瑣屑, 事係重大, 勿推, 此乃政院不能致察之致, 該房承旨推考, 可也。出擧條 上曰, 祿都目政事, 明日政, 令次官擧行事, 榻敎。諸臣以次退出。