○ 閔珽, 以刑曹言啓曰, 今三月初二日, 傳曰, 今者大赦所重, 而何昔之大霈, 囹圄猶洞開。而況徒年, 赦文當信, 臨殿體重, 道臣例放, 豈可比諸? 其況在上臨民, 其宜寬弘, 惜些少之年限, 逾莫大之赦典, 是豈逐日臨殿決放之意? 旣係雜犯, 碌碌末節, 渠雖無狀, 是亦吾民, 有其親而衰耗。吁, 白首之倚門, 聞此下敎, 不悛不良, 曰有人理。今番秋曹, 徒年中仍者, 竝更以放付標事, 命下矣。取考前例, 則乙卯正月頒赦時, 徒年案未及狀聞, 而罪在赦前者, 令到日竝放送, 形止狀聞事, 分付八道矣。今番勿論已至配所, 未至配所, 徒年罪人, 旣已盡入於蕩宥中, 則外方徒年罪人, 未至配所者, 獨無擧論, 似有乖於一視之道, 何以爲之乎? 敢稟。傳曰, 竝放之意, 卽爲分付。