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승정원일기 49책 (탈초본 909책) 영조 16년 3월 17일 무오 30/34 기사 1740년  乾隆(淸/高宗) 5년

    ○ 大司憲李德壽疏曰, 伏以臣頃將疾病衰朽之實狀, 悉陳於告歸之章, 而不惟未蒙矜諒。都憲新命, 又復隨降, 此如老馬力盡, 而前擔未弛, 後擔又添, 臣誠憂遑彌日, 寢噉俱失。自臣所居, 抵京都, 百里之程耳。然臣之往來, 皆費二日, 蓋以擔舁異於輕騎, 休憩多於趲程故也。然旣稅之後, 猶作四五日委痛, 則其氣力之摧殘無餘, 可推而知。況脚痿眼昏, 月加歲增, 昔患重聽, 猶不比平人, 今也五官, 殆無不病, 雖具人形, 其與木偶芻靈, 相去幾何哉? 漫司閑局, 尙恐不宜, 風憲之長, 詞垣之重, 一時竝畀無難, 寧不爲傍觀竊咍, 公失難愼之道, 私多忝冒之愧, 不惟如是而已。都御使, 是何等職責, 而今作在外輪遞之窠, 都堂錄, 有成命已久, 而緣臣一向擔閣, 此豈非聖朝之所宜軫念者, 而使臣違逋許久, 終陷罪辟而後圖之, 則無亦晩乎? 伏乞聖明, 念重職之不可久曠, 哀微臣之天刑難解, 竝將兩任, 亟許鐫免, 不勝萬幸。答曰, 省疏具悉。卿之固執, 其涉過矣。卿其勿辭, 卽速上來行公。

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