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승정원일기 50책 (탈초본 920책) 영조 16년 9월 1일 기사 15/16 기사 1740년  乾隆(淸/高宗) 5년

    ○ 庚申九月初一日未時, 上幸厚陵親祭時, 入侍都承旨閔亨洙, 右副承旨宋敎明, 同副承旨金尙魯, 記事官李會元, 別兼春秋金漢喆, 記事官權瑞東入侍。上御淺淡服, 具翼善冠, 乘玉轎, 至紅箭門外降輿, 詣板位行望墓禮, 仍步上陵所。奉審時。上曰, 此山坐向云何? 閔亨洙招問齋郞。參奉對曰, 癸坐丁向, 而坎癸一節, 自東南入來云矣。上曰, 都局比齊陵, 何如? 參奉曰, 周回五十里云矣。上曰, 本陵石物, 乃齊陵後造作, 而非但制樣之不及齊陵, 其安排處已多罅隙。雖匠手之賤, 可見人才之漸下矣。上曰, 右邊臺石, 乃他陵所無之物, 何爲而設耶? 參奉曰, 事在久遠, 無由詳知矣。上曰, 此石之設, 必有意義, 而我國文獻無徵, 可慨也已。上曰, 以外封觀之, 制度異於他陵, 似是合陵之制矣。今番祭文中, 別致予感慕之意。而今來奉審, 如奉當日之至德矣。遂步下丁字閣。奉審後, 上曰, 殿內塗褙, 何時爲之乎? 參奉曰, 向者新爲之矣。上曰, 各陵官, 常時則不爲動念, 每當陵幸時, 則輒臨急修理, 誠慨然矣。上曰, 補階板何爲耶? 參奉曰, 親祭時以廳事之狹窄, 一時權設, 而祭畢後, 當卽撤去矣。上遂步下入幕次。少頃, 禮儀使以祭正時仰達。上復詣丁字閣, 行祭, 初獻後詣板位, 行四拜禮。禮畢, 仍步下紅箭門內, 行辭陵禮, 以玉轎, 還御幕次。諸臣, 以次退出。

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