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승정원일기 50책 (탈초본 929책) 영조 17년 3월 22일 정해 15/15 기사 1741년  乾隆(淸/高宗) 6년

    ○ 判府事兪拓基疏, 傳于趙明謙曰, 此批答, 使偕來史官傳諭。判府事兪拓基疏曰, 伏以臣罪, 可勝言哉? 恩諭之下降凡幾遭矣, 王人之來守已三朔矣。使臣可以進, 而猶不進也, 則臣之罪固萬萬矣, 苟使臣不當冒進, 而但虛辱聖眷, 一至於此, 則臣之罪, 益無所容矣。由前則爲臣子而飾辭慢君命, 合被萬死, 由後則使恩數由臣而屑越, 國體由臣而隳壞, 亦宜蒙重誅, 臣之罪其必居一於此矣。以臣之前後負犯, 尙得偃息畎畝, 誠荷天地大造, 而今又添之以此, 則臣雖欲終始倖逭, 其何可得也? 臣日夕祈死, 震懍焦撓, 以致痰凝火熾, 咳喘眩瞀, 一倍危㞃, 委頓苦痛, 神識奄奄, 鬼事恐不遠。藉令臣更無可引之咎, 以今病狀, 何敢擬議於趨命, 而天鑑愈邈, 收召不置, 畿堧殘邑, 輪供史官, 怨咨載路, 微臣之故, 寧復致此? 至於月廩之決不敢受, 庶蒙下燭, 而輸送之命, 過十朔尙不停止, 載運之役, 勞弊飢民極矣。臣誠抑塞迫阨, 惟願遄死而無知也。且臣於世事, 一切聾瞽, 昨始見憲臣兪彦國疏, 拈臣向來疏中明義理正是非一句語, 而陰詆之, 其意至深, 已使人駭然。至其所謂簪履之舊, 不忍顯斥, 而每加恕貸云者, 誠可謂切至, 而由臣無狀, 貽聖朝政刑之累, 尤不可逃罪矣。憲臣之於臣, 屬雖疏遠, 而宜若間於路人矣。其言尙如此, 時議所在, 從可知矣, 此尤臣之難進也。伏乞亟命召還史官, 停寢月廩, 仍刊朝籍, 且勘臣罪, 俾臣得以追愆沒齒, 以卒生成之澤幸甚。答曰, 省疏具悉卿懇。頃者之批, 旣悉心腹, 卿何撕捱, 一何過乎? 更欲諭意, 目今傷心, 不能悉諭。卿須依體前批, 思君臣之大義, 顧小子之此意, 安心勿辭, 卽爲偕來, 用副企望。

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