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승정원일기 51책 (탈초본 948책) 영조 18년 9월 1일 정사 14/14 기사 1742년  乾隆(淸/高宗) 7년

    ○ 兵曹參判徐命彬疏曰, 伏以臣, 素患目疾, 去盲無幾, 寧有供職之望? 而分義是懼, 不敢輒煩控籲。黽勉强策, 忍痛奔走。其昏憒難堪之狀, 見者代憫。仰惟天鑑至明, 庶有以俯燭。乃自數日前, 症狀頓爾添加, 始則瞳人隱隱作疼, 有若引拔然, 仍忽突然散大, 胞弦緊急, 冷淚不止。俄頃之間, 赤暈遍肆, 膜翳犯睛, 病勢轉劇, 若受芒刺, 晝夜狂叫, 不省人事, 雜試砭焫, 少無所減。此實臣本來內障之症, 源委旣深。或觸風冷, 或失夜睡, 輒致如此, 非如一時風熱所祟, 乍劇乍歇之比。時月之間, 萬無束帶起動之勢。宿衛緊任, 旣非暫曠之地。至於經筵·籌司, 夫豈如臣廢疾無用, 儱侗不文者, 所宜僥冒, 而一向虛帶, 尤宜無謂。猥陳血懇, 未獲上徹, 荐違嚴召, 冞切兢蹙。此際得見司諫李光溥疏本, 以爲, 頃於罷對後, 留門出來時, 跟隨應入之外。他雜人之趁門爭出者, 極爲紛然, 末乃結之以事極寒心。兵曹入直堂上, 至請重推。臣於是, 不勝瞿然之至。每當留門之際, 易致擾聒。故臣於伊日, 入直本曹, 非不另加申飭, 而適會其時, 大臣諸宰外, 五部官員及坊民等, 因傳敎來待者, 亦皆待鑰退去。當夜多人之逬出喧沓, 勢所必至。臺臣所覩, 抑誤認此輩爲闌入耶? 毋論事狀之如何, 臺言旣如是, 則問備薄罰, 不足以塞其罪, 其何敢晏然於職次乎? 伏乞聖慈, 將臣所帶本兼, 亟許鐫免, 幸甚。答曰, 省疏具悉。其何撕捱者? 卿其勿辭, 調理察職。

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